おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

やーやーやー。 全部全部、ぜーーーんぶあっていいんだーー!!! もうね、非二元の話になってくると、 「言葉の限界」ってことをよく耳にすると思うんですが、 ほんっと、その通りで、 何も、これを言葉で ... 続きを読む


やーやーやー。


全部全部、ぜーーーんぶあっていいんだーー!!!


もうね、非二元の話になってくると、

「言葉の限界」ってことをよく耳にすると思うんですが、

ほんっと、その通りで、

何も、これを言葉で表せないし、

言葉じゃ追っつかない!!


だから、

「あるがまま」「問題なし!」「以上!!」


と、言葉にした人は、すごいわ!と思うわけです。笑


マインドや自我では

どんなにありえない、嫌なことですら

完璧!と表現されてることも、

無限で全ての起こりを許してる宇宙からしたら当たり前かーーー!!

みたいになってくるわけです。


もう、何が起こっても許されてる事しかない。


許されないことですら、許されているから起こっている。


どこまでいっても許されているしかないんですね。





私の父が認知症になったんです。


8年ほど前にガンにもなってます。
お父ちゃん、頑張ってるわー。


表面的に、あらゆる感情、思考、先の事、全て湧いて出て来ました。


ぜーーーんぶ、否定せず、否定が起こっても、また否定せず、



後悔、
不安、
悲しみ
親に何かしてあげたい私、
何もしてあげれない私、
ほんとは面倒なことになったなと思った私、
かわいそうな私、
母親が心配な私、
なのに母親の父親に対する対応をもっとこうしたらいいと思った私、
他人の親切が重く感じた私、
親切に感謝が湧いた私、
みんな穏やかに暮らせたらと願う私、
帰ることが増えると大変だなと思った私、
父の機嫌を見る私、
笑っている父を大好きと思う私、
みんなが笑ってる時、これが続けばいいのにと思う私、
母に八つ当たりをする父をうとましく思う私、
それでも、なんとかなると思う私、
その時、その時に考えればいいと思う私、
薬を飲んで進行を遅らせれたらと思う私、
いっそぶっちぎって動けなくなったら父は楽になるんじゃないかと思った私、




ただただ出てくるものをそのまま出して、感じて、


「ある」

をそのまま出してあげました。


私の中にある醜さも、

私の中にある美しい部分も

全部私で何1つ間違いがないことが分かりました。

全て全て、何も問題が無かったのです。

全部がただ起こっていて、


この気持ちを

そんなこと思っちゃダメとか蓋をすることも何をする必要もないことを知りました。


すごく平安でした。

起こってることは、一般的に見たら大変なことなんだろうと思います。

親戚も、ワーワー言うてます。

ほっといてほしいと思うことにも首を突っ込んできます。

私も久々に昔の思いが蘇ってきて大量に涙がでました。

母から父の話を聞いてると、二人で笑って、「お父さんコントやな!」ってなるときもあるし、
どないしよ~どないしよ~って深刻になるときもあるし、


けど、それを含めて完璧でした。

「ある」ことと、共にいると、完璧と思おうとする自分すらもはやいなかったように思います。



父の話をトド(夫)にするたびに、

「お父さん吉本新喜劇じゃな!」って笑い飛ばしてくれることもあれば、

地元の親戚は、笑いほぼ無しの、ちょ~~真剣深刻さで、ちくいち心配してくれたり、

認知症一つに対する捉え方がおもしろいほど違う!

周囲の人の反応(現象)が私の心の中のさまざまな反応と同じで、

あ~~~~!!!!もうほんっとに全部わたしじゃ~~ん!って笑えてきました。
  


外側がどんな状況であれ、

内側がどんな状況であれ、

本当の私は、

それを全て許して、起こさせてる全体のほうなんだな~~って、

ほんのわずかな思考の隙間に気づきが舞い降りてきて、

それは、ただただ全てを見守っていました。

そこはとっても穏やかなところでした。


悲しみも喜びも、
善悪も
幸せも不幸も

何1つ弾くことのない無条件の中で私たちは生かされている。


許せば許すほど、

感謝と平安ですでに埋め尽くされてることに触れ、

私は概念によって定義付けられるどんなものでもないし、

また、どんなものであってもいいと感じさせてもらえました。


どんな形であれ、父と母も同じです。

どんな定義にもあてはまらないもの。。すべてだったんです。

大きな大きな愛でした。


敢えて、今の父を言葉にするんであれば、

威厳のある父から、すぐ忘れる可愛いお父ちゃんに変わった感じです。

もちろん、いつもかわいいとかないですが(笑)

時に腹立つジジーですし、

おっちょこちょいですし、

病気とは思えないときもあれば、

完全にボケとる!ってときもあるし、

どんな定義にもずっと納めておくことはできないんですよね。


そして、私たちも毎瞬毎瞬感じることは変わります。


それで大丈夫だったみたいです。

何も、訂正する必要はなかったし、

訂正が起こっても、それすらも大丈夫だったようです。




どんな気持ちが湧いてきても、

またすべてと共に生きていこうと思います。

「枠」がないのがもともとの私たち♡

















いつも読んでくださるみなさまありがとうございます!
こちらも応援ポチポチよろしくお願いいたします!
↓↓↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村