おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

2015年12月

やーやーやー。 片付けはできても、できなくてもいい。 自分が片付けをする事で、 自分の価値をそこで見出す必要はない… 「片付けができる自分もできない自分もほんとはそのままで愛される可愛い自分」 「できなかろうとも元々自分には価値がある」 と言うことを ...

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やーやーやー。



片付けはできても、できなくてもいい。


自分が片付けをする事で、

自分の価値をそこで見出す必要はない…


「片付けができる自分もできない自分もほんとはそのままで愛される可愛い自分」

「できなかろうとも元々自分には価値がある」


と言うことをわかると、


それを前提に、

「じゃあ自分はこれからどうしていきたいか!!!!」という話になります。



どっちでも自分は許されているのであれば、


どうしていきたいか。


それが今後のお片付けになっていきます。




できなくていいなら本当にしない!!

文句言われないならしない!

私は気にならないし!!


そこで、「やらない覚悟!」を決めます。



「できない」と言われることに反応して怒りや悲しみを覚える気持ちではなく、


「そうなのよーー!私、マジイヤで!

でも旦那やってくれるしー!

かーちゃんもちょいちょいきて文句言いながらもやっていくしー!」


とか、

「いーのいーの!業者に頼めば解決するから!」


って言えるくらい、自分を受け入れる気持ちを構築していくのです。

どんどん自分に許しを与えます。


やってくれてる人に

「イヤミか!」

と言う気持ちを持つ代わりに

「ありがとう!」と素直に言える自分を増やしていくのです。



実際、受け入れられてる人は、

片付けが出来ないことに、全くをもって抵抗はありません。



誰に何言われても大丈夫な自分。


他人の助けをありがたく受け入れる心を持っています。



何があろうとも、自分が自分の味方であることを決めるのです。


やらなくたって、誰かがやってくれると信じる。

やってくれる人(旦那や親、友達)がいて、やってくれてるのを見て、

「私ができないことをやってくれてるありがたい存在」として認める。


自分がやらないことに罪悪感を感じる必要はない。


だって、やらなくても素晴らしい自分がちゃんといるんだから!


片付けが全てじゃない。


自分のできないところを誰かが補う。それに気持ちよく寄っかかっていけるマインドを作っていくのです。



それが、心から片付けが苦手な人で、

「でもやらなきゃ!」の呪縛にかかってる人が向かう方向です。





では、反対に



片付けができてもできなくても自分は素晴らしいし、

やってもやらんでも本当はどっちでもいんだけど、

でもやっぱり自分がやりたい!



一旦、気持ちを、中立な場所に持っていった時に沸き起こった感情が「やりたい!」という気持ちなら……


その時はもうそのやりたい気持ちを片付けにぶつけるだけです。


例えそれが、途中やめになったとしても大丈夫です。



だって、できなくてもいいわけですから!



できない自分も認めた上で始めてるんだから、

途中でやめようと、

結局手を付けずに終わろうとも、

辞めても、

「やっぱり素敵な自分」がそこに居ます。


「できなくて当然」で終わるのです。


それってすごいんです。


途中辞めでも、

例え、それやってるうちに入らんのんちゃう?のような掃除だとしても、


そして、その通り、びっくり中途半端で終わろうとも、

自分を責めないから(責める必要がないから)

片付けに再び手をつける事に抵抗がなくなります。




「また途中やめになったら」

「思ったように綺麗にできなかったら」

なんて考える必要もありません。




できなくていいんですから!!!!




むしろ、できなかった今までが当然で、

そこをできないできないと自分で責めてただけですから!!!


責めなければ!!

そのまま気持ちよく終われば!!!

↓↓↓


片付け嫌いが終わります!!!!




子供が、全くできないことをすこーーーしできると、大人はすごく喜んであげたりします。

それを自分にやるのです。


「わーーーー!できないっていうか、できなくてもいい事をわたしやったわー!!窓開けただけだけどねー!」とか!笑



できないのに、できる自分をほんのすこしでも手放しで喜ぶのです!



もちろんできなくても、オッケーを無条件に出します!!



それの繰り返しです。




今まで、私はゴミ一つでも拾えたら褒めてくださいね!って言ってました。


言ってることは以前と同じことです。

ただ、

私の意識がガラッと変わりました!!!


いいですか!!


できなくて当然!!なんです!!


できなくて普通なんです!!


できなくてむしろいいんです!!!


でもやってる自分ってめちゃくちゃ可愛いです!!!





「できなくてもオッケーオッケー!!!」

「むしろできないくらいがちょうどいい!」

「できようができまいが、今日の素敵な私に変わりなし!」



義務感からでも

責任感からでも

罪悪感からでも



なーーーんでもない、


ただの私のための自由なお片付け。




これを練習していけば、


驚くほど片付けが変わります。



認めるのは、

「できなくても価値ある自分」

です!!!!!!!






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やーやーやー。 片付けができない! 部屋が汚い! と思う人たち(私を含め)、どうやったら部屋をキレイにしていけるのかというのは、 私がブログを書き始めてからず~~~っとテーマにしてきていることです。 今日、今まで書いてきたことも含めて、点と点が線で結ば ...

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やーやーやー。



片付けができない!
部屋が汚い!

と思う人たち(私を含め)、どうやったら部屋をキレイにしていけるのかというのは、

私がブログを書き始めてからず~~~っとテーマにしてきていることです。


今日、今まで書いてきたことも含めて、点と点が線で結ばれ始めました。




お片づけはマインド8割テクニック2割ともいいました。

収納の仕方よりも、

その時の心の状態をしっかり書いてきました。



片付けのやり方も大切だけど、

私はそれよりも、「片付けまでにたどり着けない気持ち」がどうしても知りたくて、

それを日々の片付けや掃除に合わせて模索してきました。



そして、


「片付けができない!」って思ってる人が見えてないモノを見つけました。

私にももちろん言えることです。





それは

「自分に対する絶対的信頼と愛」

です。



散々いろんなこと書いてきました。


自己肯定感

自己受容

他人軸VS自分軸

未来軸VS過去軸VS現在

自分をご機嫌にする

自分を大切にする

自分を優先させる

部屋は自分の心を映し出す鏡

周りの人の言う事は自分の言う事の投影

執着の手放し

今自分が心から望むことへの集中




もっと書いてます。


全て自分に照らし合わせたり、当てはめたりして、自分に落とし込んできました。

けど、それでも足りなかったもの。

それだけでは埋められなかった心の隙間。

それだけでは満足しなかった自分。



それが、この「絶対的」信頼と愛です。



ちょっと漠然として分かりにくいですが読み進めて下さい。





自分には多少の愛はある、

大切にしてるつもり、

やりたいことやってるし、

やりたくないことはやってない。




でも、



「絶対!」じゃないから揺らぐんです。




グラグラします。

安定しない。

だから、またこれじゃないかも。。。。とあれこれ他を探し始める。


グラグラするのは、

まだどこかで、

「これができる自分は良し」だけど「これができない自分はダメ」って自分の中で勝手に基準を作ってそれに当てはめているのです。


オッケーな自分とオッケーじゃない自分が居るからです。


それは私の中で「部屋がキレイじゃないとダメ!」という自分で作った基準があったからです。


「綺麗な部屋」を基準にして物事を全て見ていたのです。





「片付けができる」ではなくて、

「片付けはできても、できなくてもどっちでもいい」

この視点を無視していました。



「できなくていい」はハナっから無かったことにしてたのです。




できなきゃダメと思い込んでるので、



できないと

・自分自身を常々責める

・自分自身が満たされていない

・自分自身が片付けができない私は価値がないと思ってしまっている(片付いた部屋で喜び、喜ばれることに価値を見出そうとしている)

・自分や周りに責められてまた自己嫌悪に陥る。

・やらなきゃいけない!と義務感

・自分がやらなきゃという強い責任感




「片付けができなくてもいい」を排除しようとするので、


常に苦しい。


片付けができない状況に自分自身がさせてしまっている。


常に、「自分への信頼と愛」とは真逆の方向に全てを作用させいたのです。






だから、取り戻すべきところは、この信頼と愛です。



そこができれば、

もはや片付けすらもどうでもいい、or

自分の心の状態を表す自分の大好きな部屋になるわけです。


要は「片付けしなきゃの呪縛」から解かれるのです。




自分の中で信頼と愛が確立されてくると

もう何も関係なくなります。


状況がどうであれ、

結果がどうであれ、

それに対する自分や周りの反応がどうであれ、

どうでもいいわけです。


焦点を当て、大切にすべきものは常に自分です。

そして、その自分の心の中が全て周りに反映されます。


ここがしっかりしてくると、


誰から何を言われようとも片付いてない部屋が気にならない。

または

自然にいつもキレイな部屋にできる


になって行きます。(←2回目!)



どっちの状態であれ、「自分」は「自分」であり、

「常に満足で穏やかでいられる自分」です。


だから、「片付けをしなきゃ価値がない」私という状況も生みだす必要もないし、

やらなきゃいけない時は「できる!」し、やらなくていいときは「気にならない!」わけです。



いつも、目の前の状況に自分の心が振り回されない状態になるのです。




私は、ずっと、

「部屋をどうやって綺麗にしていくか!」

ということだけにフォーカスしてきました。



「キレイ」である事がよくて「キレイじゃない事をいかに正していこうか」ばかりに焦点を合わしていたのです。




整理収納アドバイザーだし、

部屋がキレイであることを求められてる気がしてたし、

自分もそうでありたかったし、

部屋がキレイになることが自分の喜びでもあった。




でも、それをし続ける限り、

いつもそれとは反対にある

「部屋が汚い自分はダメな自分」

にして、それをどんどん強い刷り込みに変えていってしまってたのです。


「部屋が汚い自分」をかたくなに拒否しつづけてきたわけです。

受け入れたくなかったのです。


反対の面(負の面)を拒むので、自分が好きと思う面(正の面)が伸びないのです。


「絶対的信頼と愛」もへったくれもありません。


どんな自分でもかわいい自分


これをやれば私は、もっと自分の片付けが変わって行くと思いました。




そして、私の片付けが変わると、読んで下さる皆様の片付けも変わる。




鏡の法則です。




「キレイにすることだけが片付けじゃない」


「汚いもキレイも全部ひっくるめて受け入れられて、そのままでいい自分を作ること」が



ほんとに自分が望む心の片付け=部屋に映し出される片付けになるんではないかと思ったのです。


それを含めて、これからも、どんどん自分の内面を含め、片付けのことも書いていきたいと思います。


もちろん、矛盾したり、横道それたり、考えが定まらなかったりで、読んでモヤモヤしてしまう印象も多々みなさまに与えるかもしれません。


でもそれすらも、私であり、私の1部です。


どうぞこれからも宜しくお願いいたします。


今まで「キレイにしろ!綺麗にしろ!キレイなほうがいいんだよ!」って言い続け、プレッシャーを与え過ぎてほんとごめんなさい。




できなくてもいい自分を丸っと大事にしてあげられるとこからもう一度始めますね。








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やーやーやー。 1番自分と過ごす時間の長い我が子。 この子たちと数日過ごして、 自分がいつも感じているイライラが劇的に少なくなっていることに気付いた。 いつも感じていた 焦りや、苛立ちや、目に見えない恐れのようなもの。 いつも子どもに何か言われるたび ...

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やーやーやー。


1番自分と過ごす時間の長い我が子。


この子たちと数日過ごして、

自分がいつも感じているイライラが劇的に少なくなっていることに気付いた。


いつも感じていた

焦りや、苛立ちや、目に見えない恐れのようなもの。




いつも子どもに何か言われるたびに、


「また?」

「今?」

「今度はなに?」

って目で子どもを見て、


その奥に、

「面倒臭いことはやめてよ」って気持ち、


さらにその奥に、

「その面倒臭いことで感じる嫌な気持ちを味わいたくない」

と言う気持ちがずっと隠れてたんだと思う。




私は、いったい何がそんなに嫌なのか、

何にそんなに不快な気分になるのか、


少しずついつもより丁寧に見てあげて、


最終的に蓋をして見えてなかった本当の自分の気持ちを分かってあげることで、

すぅーーーっと、不安が和らいでいく。



私の中で、暴れ、もがいていた感情をじっくり見て落ち着きを取り戻していくと、


あーら不思議。


あんなに嫌だった子どもの行為や言動が全然嫌に感じない。


いつもなら、過剰反応して、

言われる前からいつも身構えていたものが取れてきた。





自分はほんとは何が言いたいのか。


表面的な要求ではなくその奥にに見え隠れするものを分かってあげることで、

面倒臭いことが面倒臭いことじゃなくなる。


わたしは、いつも子どもに何かを言うときに、


「これを言ったら子どもは嫌がるんじゃないか?」

とか

「私の都合で無理矢理させていないか」

とか

「嫌なのにやらせるのかわいそう」

とか、

「物で釣ったり、脅しのような形で子どもに言うことをを聞かせる」

ことに、めちゃくちゃ抵抗を感じていた。


いつも子どもに何かを言うときに、

ビクビクしてたのだ。


そう、ビクビクしてたのは私自身。


だけど、その自分の中のビクビクの気持ちを分かってあげてから

びっくりするほど、

中立というか、

今までとは違う視点というか、

とにかく、

自分が子どもに伝える言葉に迷いがなくなった!!!!!



ダメな行為、

やって欲しくないこと、

今やるべきこと、

今は何の時間、


逆に自分は今、

子どもにどうしてほしいか

どうやってくれたら嬉しいのかを

あれこれ考えずにストレートに伝えられるようになってきた。


今までの、

「これ言ったらどう反応するかな?」
「これ言ったら悲しむかな?」
「これ言ったらまたイヤイヤして面倒なことになるかな?」
「私は親にこれ言われて傷ついたから、これは子どもには言わんとこう!」

とか、
とにかく何か言う前にいつも頭で考えてから何か言っていたのだが、

そこの部分がスコーンと取れた!!!




自分が言うことにも迷いもないし、

相手が言うことも反応にも少々のことならひるまない!受け入れられる!


という気持ちがうまれ、

やりとり自体から「面倒」が減ったのだ!!


それは、自分の「悲しみ」や「ビクビク」の正体をじっくり見て、

感じて、

謝り、

落ち着かせ、

仲直りしたから、

もう、やることやる事の手前でそれをいちいち感じる必要がなくなったのだ。




今まで、

「義務、押し付け、脅し、無理矢理」なんてしたくない、

子どもの意思は尊重したいと思いながらも、


どちらもやりきれてない中途半端な自分にも腹を立ててたのだと思う。


意思を尊重しすぎると、私の手に負えないくらいのワガママになってしまう

っていう恐れと

でも、子供らしく自由に育って欲しいという

ブレブレの気持ち。



しかし、そのなんでそんなにビクビクしていたかを見たことで、

ブレがなくなった。


そして、それは、子どもとの関係性を見たからなくなったのではなく、


以前、母と自分の関係を自分の一番最悪だと思える過去の中に再現した後に、

自然に自分の子どものことでもイライラが消えてることに気付いたのだ。


もちろん、全てスッキリ、イライラ全く感じません!となったわけではなく、

まだまだ他にもちゃーーんと「イラっ!」って感じる部分はたくさんある。


でも、それもそのまま感じて、

また色々自分を知る材料にしてこうと思う。






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やーやーやー。 昔からちょいちょい言われてた 「kaitekiは自由人」 誰しもがその要素を持って生まれてるとは思うけど、 私はそれが人よりも特に強く出ている。 それは、私の行動とやろうとしている事に全て現れている。 枠を嫌い、 いつもしがらみがない事 ...

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やーやーやー。




昔からちょいちょい言われてた


「kaitekiは自由人」



誰しもがその要素を持って生まれてるとは思うけど、


私はそれが人よりも特に強く出ている。


それは、私の行動とやろうとしている事に全て現れている。



枠を嫌い、

いつもしがらみがない事を見つけると喜びを感じる。


同じところにとどまり、そこで楽しむことを選ばず、

常に何かを探している。


押し付け、やらされた感を人一倍強く感じ、


解放感に喜びを感じる。



スケジューリングや決まった予定よりも、

突然の予定にワクワクを覚える。


毎日同じルーティーンワークを好まず、

常に変化を求める。


凝り固まった考え方ではなく、

柔軟性を求め、

例え違う意見だろうとも自分を成長させる要素があれば全て取り入れたい衝動に駆られる。



そこに「周りに影響されやすい」と悩んだ若い時期もあった。





でも、今となれば、その時必死で自分の選択肢を広げてたようにも思える。



そう、取り入れてしまえば、後はそれをやるかやらないかは自分で選択できるものだ。



常に自分の自由になると範囲を広げていたい…




そんな事が今朝ふと思い浮かんだ。



先日した「飽き性」の話も、これを考えたときに少し納得できる。



私が常に自由で在りたい人間だから、


目の前に現れた2人のモンスター(母たち)に嫉妬した。


好き放題やって、それでも嫌われる事なんて微塵も感じない、

どれだけ毛嫌いされようとも気にもしない神経。


どれだけ私がイヤミを言おうと、イヤミにとらない2人。


私の事なんて理解しようとしない、


自分の主張がいかに通るかに集中し、



主張が通れば満足気。

通らねばふてくされる。


(書いてるだけでも、可愛げねーな!と思える数々の言動!!)


好き放題やる母親達を本当にどうにかしたいと思ってる傍ら、

心のどこかで「羨ましい」と思い、

そこまでできる図太い神経が欲しいと願っていた。




「あんな人には絶対にならない!!」

と、強く思えば思うほど、


私は自分の自由を制限し、


自分の首を絞める羽目になる。



私の勝手なイメージが自由人になる事を拒否させてきた。


でも、昨日のように、私の中に住んでる小さな自分とどんどん仲直りしていったらいったい何が起きるだろう??



母たちがやる事にいちいち苛立ちを覚えず、

やる事なす事に無駄に反応せず、

そのままを受け入れられるようになれば、



すなわち「私が私を受け入れられれば」


心からの「自由人」になれるんではないだろうか。



私が欲しいのは、

物質的な事ではなくて、

そんな目に見えない自分しか感じられないことなのかもしれない。




今朝は、

いつも苛立つ

「ママ、あれがないーーー!!」

「とってー!」

「やってーーー!!」

「おにぎりイヤーーー!サークルKでパン買ってきてーー!!」

と、まあ、いつもの朝ならちゃぶ台ひっくり返して

「自分で探せー!」

「自分でやれー!!」

「とらんわ!!」

「パンはねー!米食え米!!」


と全部神経逆立てて言い換えす事事に

びっくりするほど、

「イラっ!」ともせず、

全て子供の要求を受け入れられた。


もちろんこれは、昨日の今日だから、穏やかな気持ちでいれたのであろうと予測していて、毎日そうなるとは思ってない。


けど、こういう現象と対応が、少しずつ増えて、



今まで「不自由」と感じてたことか「不自由に感じなくなる」とどうだろう。


それを感じた時、私は自由が味わえる気がした。




「不自由」だった事が「不自由じゃなくなる!」って、


最高の自由な気がする!!!!!




それは、よく本でも書かれている


「本当は全てはそこにある。ただ気付いてないだけ」って言葉に少し似てる気がした。


本当は、いつも死ぬほど嫌だと思っていることが、

感じ方が変わるととても幸せな事なんだってことに気付けること。



きっと、私は、本の知識でなく、


ずっと体感したかったんだ。


自分自身で、自分が感じる自由人を。










いつも読んでくださる皆様ありがとうございます!!
自由人につき、返信がまたまた遅れております!汗(←それは単なる言い訳~!爆)もうしばらくお待ちくださいませ!

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この記事の前編…ついに見え始めた私 この記事の中編…私が母親を嫌ったワケ 自分のために人に嘘をつき 自分のために信念を曲げ 自分のために矛盾したことをやり、 自分のために、例え悪いことであろうとも正当化しようとしていた。 そう。 全て、 私 ...

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この記事の前編…ついに見え始めた私


この記事の中編…私が母親を嫌ったワケ









自分のために人に嘘をつき

自分のために信念を曲げ

自分のために矛盾したことをやり、


自分のために、例え悪いことであろうとも正当化しようとしていた。



そう。



全て、


私が私のために、


私を守るために。


例え仕方なくだろうとも、理由がなんだろうと、「やってた」のだ。



私は、私の嘘は「仕方なくだった」と正当化し、

無邪気に悪びれもせずに、次から次へと見せてくる母たちの「嘘や矛盾」は真っ向から否定していた。


でも状態は


仕方なくだろうが

無邪気にだろうが


嘘は嘘。


矛盾は矛盾。


真実に変わりはない。




やってることは同じだ。





嘘や矛盾を作り出すには、


必ずその先にメリットがある。




メリットがないものに、自分が嫌と思い込んでいる事をする必要はない。





でも、私はやった。


そのメリットのために。




そのメリットは何だったのか。






それは




「自分を安心させること」






だった。




安心……心の安らぎ…平穏…穏やか…波風立たない…


私が大好きな事。







他人を欺いてでもその安心を得たかった。






魔人は「私」と、「私の中にある「悲しみ」」を2つに分けた。




私の中にいる


もう一人の小さな自分が出てきた。



魔人はその小さな子を椅子に座らせた。


その子は、丸く縮こまってとても怖がっている。


ショゲてて、今にも泣き出しそうなくらい怯えている。



そして、私の方を直視できずチラチラと見ている。




また私に怒られないか、嫌われないか?って…


またどっか行けばいいのに!って言われないだろうかって…






その「小さな私」は「私」のことが大好きだったと言った。


大好きで大好きで、


いつも、「私」に気に入られたくて、


いつも「私」にご機嫌でいて欲しくて、


いつも私を「安心」させるために頑張っていた。



私を安心させるために、


嘘、矛盾、欺くことを精一杯やっていた。





それなのに、私はその小さな私がやった事を

迷惑と思い、

鬱陶しがり、

排除しようとし、

無視したり、

気付いてないふりをしてみたり、

どっか行けばいいのにって思ったり。




小さな私は、

いつも私の味方で、

私を守るために

必死になって現れてきて、

一生懸命私に「安心」を与えようとした。



だけど。


私は、

そんな小さな私がやってくれることを


理由も聞かずに拒否し続けた。




ほんとにかわいそうなことをしてしまった。




ただただ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。



同じ「私」なのに、なんでここまで憎んでしまったのか。



謝りたかった。



「もうしないから!!」って泣きながら言った。


大好きな人に「消えて欲しい」って言われるなんて辛すぎるよね。



ずっと分かってほしくて、ちょいちょい母たちを通して私に言ってきてたんだね。




会えてよかった。


そして、


私のやるべきことを教えてくれてありがとう。




どんなに嫌な私でも大切にしなきゃいけない事を教えてくれてありがとう。


どんなに嫌な部分も、私の幸せのために全力でそこに「居る」って事を教えてくれてありがとう。





あんなに嫌だった感情に、


愛おしささえ感じられる。



もう邪険に扱う必要はない。



だって、それも私だから。



小さな子は、とても安心して嬉しそうだった。



私は「拗ねてた小さな私」のうちの1人にありがとうを告げ、さよならした。



今まで、悪くもないのに悪者にして、散々暴言を吐いて傷つけてしまった母親たちに年末に会う時にでも、謝ろうかと思う。(傷付いてないかもしれんし、何のこと?って言うかもしれんけど)




できるかわからないけど。




「お母さんたちは別に悪くなかったよ…」って。









本日も長い長いブログ読んで下さってありがとうございました!!
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この記事の前編…ついに見え始めた私 何を言っても通用しない、私の事など到底理解できないだろうと思ってた宇宙人は、 まさかの私。 それが分かったのは、 魔人のワークの中に出てくる、 私の過去worst3に入る「人生で最大に嫌だった事」 を書き出した後だった ...

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この記事の前編…ついに見え始めた私



何を言っても通用しない、私の事など到底理解できないだろうと思ってた宇宙人は、



まさかの私。



それが分かったのは、


魔人のワークの中に出てくる、

私の過去worst3に入る「人生で最大に嫌だった事」

を書き出した後だった。



そのworst3を経験したときの出来事の中でも、「最も悪い」と思われるものをピックアップし、



私の状況、

私の行動

私の感情、


をしっかりと再現し、

その時の事をできるだけ細かく思い出した。



過去の私は、








二人の宇宙人がやっていたことをそのままやっていた。





矛盾

自分都合

正当化





ほとんどがそこに凝縮されていた。



今まで自分が仕出かし、無かった事にしておきたかった悪事。



罪とでも言おうか。



思い出したくもない。


なんなら記憶から消しさって、思い出せないくらいに排除しておきたかった。


抹消したかった。


人生の汚点を消しさってやりたかった。




たまにそのことは思い出してはいたが、

それでも思い出すたびに、早く忘れられたらいいのにと思ってた。





けど、ちゃーんとそのworst1に


私にとっての現実の嫌な出来事と、それに伴う感情が出てくる理由がしっかり入っていた。



「ねー、ねー。二人のお母さんがやってる嫌なこと、

全部自分がやったことだと思わない??


そんで、そのやったこと、出て来た感情、

お母さん達を嫌うみたいに、

ずーーーっと嫌ってこなかった?」



過去から今までに私がやってきたこと、


母親たちを嫌う理由が、


魔人の言葉ですべて繋がった。




「どう考えても、あの人達とわたしは絶対に違う!!あんな人にはなりたくない!!」と思ってことが、


「どう考えても、私もそれをやってた!そしてそんな人だった」に変わった。




なんのために??


どうして???



なんで私が……




母親を嫌いたくて嫌ってるワケじゃない。


けど、ただ私のイライラする事ばかりしてくるし、


言っても言っても分かってくれないから、


「私とは人種が違う」


で終わらせてたのに!!


なんで、同じようなこと私もやっちゃってんの!!??






思い出すのも辛い出来事が、


私と、母親たちを同じ人種にしていく。




いたたまれなかった。



でも事実だった。




私は、なんで過去にあんな事をやってしまったのか。




すべて、





自分のためだった。









つづく。

やーやーやー。 魔人と出会って(メッセやりとりで)まだ2週間ちょい。 ただひたすら出てくる感情に向き合い、 どんな感情があるかを丁寧に見てきてた私。 が!!!! そんなものとは比べ物にならない量の感情が本日じゃんじゃん出てた。 そう!ついに魔人 ...

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やーやーやー。



魔人と出会って(メッセやりとりで)まだ2週間ちょい。



ただひたすら出てくる感情に向き合い、

どんな感情があるかを丁寧に見てきてた私。





が!!!!




そんなものとは比べ物にならない量の感情が本日じゃんじゃん出てた。





そう!ついに魔人と会った!!




と言っても、過去に一度会ったことがあるので初対面ではないけど…



もう、とにかく内容が濃すぎて何から書くか、

さーーーっぱりわかんないんだけど、


とにかく、私が2週間やってきたことは、



「無駄ではなかったけど、屁くらいのものだった」という事。(←まとめすぎ)





次から次に出てくる、

嫌悪感のような

憎悪感のような

見るもの嫌、

感じるのも嫌、

なんなら、そこ無くならせたいと思ってたとこなんですけどーーーーー!!!!



ってのが、

「なぜかする予定もさらさらなかった実母と義母の話」をする間に出てくる出てくる!!


なんなら、この2人に私の見たくない部分、全てが凝縮してるかのように!!


そして、ここ最近で1番興奮して、1番いかに2人が変な人かを熱弁した。



その間に、


じゃんじゃん引き出されるキーワード。



矛盾



予定もへったくれもない

人の都合を考えない

正当化

主導権

中途半端

押し付け

理不尽

要領が悪い

迷惑を掛ける

屁理屈

他人を引き合いに出す

自慢



まーまーまーまー。出てくる出てくる。


なんなら悪口もっと言えますけどーーー!!!くらいに!!!



で、

私が2人との距離を置きたかった、会いたくなかった、


いつも口実を作って避けようとしたり、

結婚して、遠く遠く名古屋に出てこようなんてしてたのは、




「私が嫌と思ってるこの感覚をまざまざと味合わされるのが嫌だった」


からだったのだ。






この二人に会うと、

否応が無しにこの部分を味わってしまうから!!


だから会いたくなかったのだ!!





全部、自分都合の自由主義。




これだけワガママやりたい放題で、


自由にやってる2人。


2人が自由にやればやるほど私は不自由を感じ、それに耐えられなかった。


だから距離を置いた。




けど、距離をおこうが、時間を開けようが、離れようが、


一時しのぎで感情を起こさせない処置をとることはできるが、


嫌悪感が無くなることはない。



会えばまた必ず見せつけられる。


家族だから、縁を切らない限り、必ず会って全てを見せられる。




あらゆる人間関係で避けてきた感情。



避ければ避けるほど、


それがこの2人に大きくそれがのしかかり、

化け物になって私の前に現れる。


避けた分だけ、

1番感情をぶつけやすい近親者がそのありったけの嫌な感情を武装して私の前に現れる。




「もうほんとに勘弁してくれ」



他人から見たらただの気のいいおばちゃんくらいのもんだろう。



しかし、私の中では、


モンスター。


オバタリアン。


自分の気持ちなんて言っても言っても到底理解してくれようのない、宇宙人のような存在。


その宇宙人に関わることを止めて、

とにかく平和な日々を送りたいと願っていた。



が、



いなくなるはずもない。


避けられるはずもない。


いきなり優しくて物分かりのいいおばちゃんに変身するはずもない。



なぜなら、









宇宙人は、私自身だったから。












いつも読んで下さる皆様ありがとうございます。

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やーやーやー。 わたくし、生きてまっせー。 生きてまっせー。 気まぐれ投稿にも、そろそろ自分でも慣れてきたぜぃ~! さて、今日は、整理収納アドバイザーに依頼するお話。 私は2年前、 自身が整理収納アドバイザーを頼んで、とても良かったと心から思って ...

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やーやーやー。



わたくし、生きてまっせー。

生きてまっせー。


気まぐれ投稿にも、そろそろ自分でも慣れてきたぜぃ~!







さて、今日は、整理収納アドバイザーに依頼するお話。


私は2年前、

自身が整理収納アドバイザーを頼んで、とても良かったと心から思っている。




部屋が綺麗になったこと、


元気になれたこと


自分がこれからどう自分のライフスタイルを確立していくかの指針になったこと、




など、結果に対してとても満足してることもそうなのだが、

なんで、整理収納アドバイザーに頼んだだけで、

こうもいろんな事が変わっていったんだろーって不思議に思った時に、ふと当時を思い返してみた。



すると気付いたのだが、

整理収納アドバイザーを頼んだときに、

私は、


人が


「いや~それ無理っしょ!」



と思う部分を、

頼んだ時にだいたい経験したからだ!





整理収納アドバイザーに頼むということは、


それを1度に全て味わえる要素がかなり含まれているのだ。


全てのワサワサ気持ち悪い自分を味わえる。




・主婦なのに1人で片付けをすることができないという「自分でやること」と「依頼すること」の間での葛藤

・どうしてここまで放置してしまったのかという後悔

・使わなくていいと思ってる部分へ出す
お金の抵抗(しっかりとザワザワ嫌な感情を味わえる)


・旦那に内緒で頼む罪悪感(人によっては正直に話して、反対などされてそこで葛藤する人もいるだろう)



・整理収納アドバイザーさんに自分のありのままの部屋を見てもらうことの自信のなさ



・別に自分が我慢すれば、このままでもいんじゃないかという変化への恐れ





見て!!!


見たくもない部分に向き合わざるを得ないこの現実!笑




整理収納アドバイザーに頼むというより、

電話予約する前だけでこんなに色んなことを一気に味わえてしまうのだ。



で、

いずれにしても、


「結構お金がいるから」

とか

「旦那が反対するから」など

頼みたい気持ちはあるけど、頼めない状況になってしまう…というのは、

全て自分の不安の投影です。




それを作り出してるのは自分の心。





ほんとにやりたいと思う時はそれが問題にはならない。


けど、どうしようか迷っているから、

周りに問題を作り出して、無意識にそれをやらなくてもいい方向に持っていこうとしている。






私には、現実的に無理と思える要素もたっぷりあったが、


この不安を跳ね除ける要素もちゃんとあった。



・とにかく綺麗な部屋で過ごしたい

・変わりたい

・素敵な家にしてみたい

・綺麗になったらやりたい!と思ってることがあるなら、さっさと綺麗にしてそれをやる時間を楽しみたい!!

・コーヒーだって心置きなく飲みたい!

・汚い部屋で子どもにガミガミ言うのを繰り返したくない!

・ブログ読んで憧れたアドバイザーのマキさんのような部屋にしたい!マキさんに会いたい!!


不安はしっかりあるが、

それに勝る


「変化」を求めていた。




だから、頼めた。



自分の不安にしっかり向き合い、

それでも、自分がワクワクする方向に進んだ!(当時はそんなことを考えもせずただやってたのだけど)


その結果が、自分が予想を遥かに超えたところに辿り着けた!


アドバイザーさんに頼み部屋が綺麗になるという事実だけでは、正直ここまでの自分の変化はなかったかもしれない。





特に頼む事に抵抗なかったり、

お金はいつでも余裕で払える状況であったり、

旦那も頼む事に大賛成で協力的であったとしたら、結果はまた少し違ってたのかもしれない。



それにアドバイザーと言っても、

日本には今やたくさんのアドバイザーがいる。

合う合わないも出てくるだろう。


でも、それすらも自分の中で、

希望とワクワクを募らせていると、

パーフェクトな状態になって目の前に現れてくるのだ。



少しでも頼む人に対して不安を投影すると

現実にも、ちゃんと

「満足しない部屋」が出来上がる。



だから、

「どれだけ部屋を綺麗にしたいかという強い思い。」


ここに集中すると色んな事が味方してくれる。





私に「アドバイザーさんに頼みましたー!」とコメントをくれる方が沢山いらっしゃいます。


どの方も、頼むまでに様々な葛藤と戦ってます。

昨日報告くださった方は「頼む」までに3年かかったと言ってました。


でも、ほんとに嬉しそうでした。


そういう方たちは、いつも私に、



部屋が綺麗になった報告よりも先に、



「ついにアドバイザーさんに頼みました!!!」ということをとてもうれしそうに話してくれる。


まだ部屋に手も付けてないのにね!笑



今までの私なら、正直、

「え!!!やっとかーーー!!」とか

「え?まだ頼んでない?そんなに苦しいなら頼んじゃえば楽になるよー!」ってどこかで思ってた。


けど、


今なら分かる。


頼む事すらも、自分に向き合わないとできない。


だから、そこにどれだけの時間を掛けようとも、

掛けた時間、

考えた時間分だけ

自分としっかり話をして、

ちょうどいいタイミングを自分で見つけたってこと。


だから、その時間さえも本人にとっては必要で、貴重な時間だったんだ。



だから、余計に嬉しいし、

余計に結果に対してもとてつもない喜びが生まれる。



頼みたいけどなかなか…って人はまだまだ沢山いると思う。


それは整理収納アドバイザーだけに限らず、

なんにでもそう。




自分の不安をしっかり受け止める。

そこをわざわざ取り除いてから次に進もうと思ってたら一生進めない。


だって、不安は無くなるものではないし、

無くならせなければいけないものじゃない。



そこを無くならせようなくならせようとするんじゃなくて、

しっかり感じながら望む方へ進む。




そして、気付くから。


不安が一気に小さくなってることを!!


それは自分に自信がついた証でもある。




それの繰り返しで自分って人間が成長してくのかな。って。







以上、「私がアドバイザーに片付けを依頼したことで、なんでこんなに変化が出たか」の考察でした。





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やーやーやー。 一つ一つ、湧きあがった感情を丁寧に見て行ってあげるプロセスをしてるkaitekiです。 私が今やってる「感情をそのまま見て感じてあげる」(自分の本来の感覚を取り戻す、感度を上げる) っていうのは、魔人に出会う前に散々メルマガで書いてたことで、 ...

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やーやーやー。


一つ一つ、湧きあがった感情を丁寧に見て行ってあげるプロセスをしてるkaitekiです。



私が今やってる「感情をそのまま見て感じてあげる」(自分の本来の感覚を取り戻す、感度を上げる)

っていうのは、魔人に出会う前に散々メルマガで書いてたことで、

プロセスとしては、ほぼそれで間違いないです。

それが、自分もできる部分はやってたんだけど、

ほとんどできてないと言うか、

やはり無意識のうちに、避けたい感情は勝手に避けてたっていうのがあった模様。




感覚を取り戻していくと、どんなメリットがあるかというと、




・自分に素直になれる。

・「負」感情と自分で思っている部分への恐れが弱まり、それも自分の1部だと認めてあげられる。

・感情が大きくなるので、たわいもないことでもより、喜びを感じることができる。(もちろんその逆も)

・いつもの日常が全く変わった感覚でとらえることができるようになる。

・本来の自分が望むことがより明確になり、それに向かって進んでいくことができる。

・迷いが吹っ切れる。

・現実に起こっていることがどんどん変わってくる。

・痛みや悲しみや辛さ、喜び、嬉しさを自分で分ってあげられることで、
それを他人に理解してもらう必要がなくなり、自分に対しての自信が戻ってくる。

・「ある」ことに気付ける。「ある幸せ」を感じる能力が高まる。



と、まあ、あげきれないくらい沢山いいことがあるわけです(もちろんプロセス中は悲しく思えることは沢山でてきますが)





で、今日は補足的に、魔人の教えを混ぜながら

「感情を感じる時のポイント」を書きます。



喜びはより大きく、

悲しみは自分で包み、癒し、

自分の持っている感覚をもっと磨いていきたいかたは是非実践してみてください。



いきまーす。



何か自分が「負」と思ってる感情が湧きあがった時、

そっとその感情を味わってください。。。




って言っても、分かりませんね。私も分りませんでした。なんじゃそりゃ!状態です。



今までそんなことゆっくり味わうこともなかったので当然なのでここで落ち込まず。


とにかく、練習&実践。



すればするほどどんどん感覚が磨かれ、自分に近づいていきます。





魔人は「感情に向き合うこと」をこんな風に表現してます。


「感情を見る」

「感情を味わう」

「感情に寄りそう」

「感じる」

「浸る」




グワっと胸に込み上げてきたものをそのまま感じることが大切なんだけど、

「辛い~」

とか

「悲しい~~~!」

とかのように言語化するのはオッケー。


私はとにかく感情が腐ってたので、

グワッ!っとくることさえあまり無かったんだけど、段々グワ!っとくることが増えてます。




どんどん続けます。

色々妄想して、イメージが湧きあがって来てもそのイメージはこのプロセスでは必要無し。

「イメージはいらん!」


余計な思考は、意識してシャットアウト

この余計な思考は「感じること」を邪魔するから。

感情に対しての意味づけはいらん。(今の時点では)

くだらん意味づけばかりしない。
その意味づけや理由づけがへたくそだから振り回される。(←ごもっとも)


感情は無理に癒そうとしなくて良い。

感じ終わったら勝手に癒される。


そして、それと同じくらい、

楽しい、嬉しい、喜び~~~もしっかり感じる。

感じたぶんだけ進める。






で、魔人とのやりとりの時に、よく怒られるのが(←怒られてませんが)


「また頭使ってる!」

「それは思考だ」

「思考でごまかして感覚が死んでる」

「逆をやるんだ!思考を止めて感覚を呼び戻す。ありのままの感覚をできるかぎり!」

「感覚を使い感覚を磨くだけ!簡単!」

「思考の使い方はこの後!!!」

「今やるべきことは、ただ出てくる感情に向き合うこと!簡単!」



どっかの、スポーツ選手の特訓みたいです。


はい、実際に特訓です。

でも、「わたしやってる~!」感は満載です。




ついつい焦りがでたり、

疑問がでてきたら、思考が働いて、質問してしまう私。


そして、本ではこうだっただの、

あ、それ知ってたけど、やれてなかったわ!とかとにかく鬱陶しい私。




だーかーらー。



そんなの考えずに


「今やるべきことは???」って魔人に引き戻される。




そうでした。

まだしっかり感じることもできんし、

何が感じるなのかもよく分かってないのに、


その先焦っても行かんですよね。




って、いそいそスタート地点に戻ってくる私。





イヤ、わかってても、忘れるんですよ。すぐに。


焦るんです。

やってることが合ってるかどうかも気になります。

間違えてないか不安になるから聞いちゃうし。


そうなったら、また1人で思考妄想ワールドが始まるわけ。



だからこうやって、一人でどっかに行きそうになった時、すぐに呼び戻していただけるのはありがたい。


そんな感じで、

ひたすら


嬉しい

楽しい

悲しい

辛い

モヤモヤ

を永遠と繰り返して感度を上げております。



ついに涙も出たりするようになりました。



ちょっとした優しい言葉をかけられると、


「当然!」


ではなく、


「ありがたい!」って!!



そんな自分もまた嬉しくて。



まだまだ序盤線。


敏感な女は嫌だったけど、

敏感でもいい事もある。



そこ封じ込めてたのかな。








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やーやーやー。 一つ一つの物に向き合うことは、 一つ一つ自分の心の声に向き合うことにとてもよく似ている。 向き合うことを避けてしまったものはそこにそのまま残り、 必ずまた向き合わざるを得なくなる。 物の場合、 どれだけ、自分がイヤで、向き合い ...

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やーやーやー。





一つ一つの物に向き合うことは、


一つ一つ自分の心の声に向き合うことにとてもよく似ている。





向き合うことを避けてしまったものはそこにそのまま残り、

必ずまた向き合わざるを得なくなる。




物の場合、

どれだけ、自分がイヤで、向き合いたくなくても、

そこの部分(物)が残っているから理想の部屋になりきれない。


「後で」、「また今度」と言ってるうちに

そこに残してある問題はいつまでもそこに残ってあるわけで、


その問題を残し続けているかぎり、同じ事を繰り返す。



衝動買い

物溜め

ストレス買い

モノを欲しがってしまうワケ

思い出の品に浸ってしまう理由

もらったものを手放せないワケ

同じものがいくつかないと出てくる不安。

どこかしら抜けないコンプレックスを埋めるかのように買いあさる服。

見栄やプライド、去勢を張るために買ってしまう高価な物。

子どもにおもちゃを与え続けるワケ。





物は自分の心。


物を手に入れた時、物を所有している理由…

自分の心がそこに在る。




そして、手放せない理由もそこにある。



その理由を見ずにポンポン捨てるとまたぶり返す。

リバウンドする。


理由を知りたくないために放置しておくと、原因がわかってないので、それまた気づくまで同じ事を繰り返す。



捨てるはどんどん捨てれるけど、またすぐに買ってしまう。




「物を欲しがる理由」を見てあげないと、


終わらない。




どれだけ見た目だけを良くして、

対処を頑張ろうとも、

なぜ汚くなるかの原因をしらないうちは元に戻る。



いつまで経っても綺麗にならな部屋を見て嘆き続ける。



私も同じ。


私の場合、


もっともっと奥の部分。



一見綺麗に見える部屋にいるから、

奥底にしまってるものは、今の私に害を加えるものでもないし、

とくに邪魔になるわけでもない。


けど、どこか心の奥底からスッキリしない理由は、それがあるから…とどこかでも分かってる。


でも手をつけない。


手をつけないからスッキリしない。

つけたくない理由を探ろうとしない。

というより、むしろ探りたくない。




今の自分もそうだった。


部屋と全く同じ。



一見穏やかで、

何も不自由はないし、

今の生活に支障が出るわけでもないから

過去に感じた痛みをわざわざ掘り返して見る事なんてしなかった。



でも、避けても避けても気になるものは気になるものであり、

放置してて勝手に無くなることはない。


でも、探りたくなかった。


自分の心を掘り返しているとき、


片付けをしてて、物を全出しして、


「これほんとに終わるんやろか?」


と不安な気持ちになり、




途中で

「こんなに面倒ならやっぱやーめた!」と言って、


そのまま、元の場所に突っ込んで扉を閉めたくなるあの感覚にとてもよく似ている。








物を出してみて、

後悔の念、

先の不安、

葛藤、

それでもちょっとはどうにかしたいという願望が湧き上がり、

これをやればまた必ず変わるから!という必死に自分を励まし、

ただがむしゃらに一つ一つ物を見て行く時と同じ心境。






整理収納アドバイザーさんに




「大丈夫です!絶対綺麗になりますから!私たちが全力でお手伝いしますから!」




と言われたあの時を思い出す。





あの時を再現するかのように

今、魔人が同じように私を励ます。


「大丈夫!!!順調だ!!!」



凹みかけてる私を魔人が励まし、私が励ます。


どん底にいる気持ちになってしまってる時、

どんな言葉も私を攻撃しているように感じる。


決して頑張る気分にはなれない。

もういいじゃん、十分じゃない?って。


1人でやっていたら、またいつものように途中で扉を閉めるだろう。


でも、今は少し先の晴れ晴れした自分に会うために、


今、私が感じることができることを一つ一つ感じている。



あの時の部屋が綺麗になって味わった気持ちを、

もう一度さらに踏み込んだところで味わいたい。




片付けのことをもう一度語ってみたい。



どこまでスッキリしていけるか、


どこまで自分の大好きな部屋にしていけるか、



究極の片付けをいつか語りたい。







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