おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

2016年01月

やーやーやー。 やるかやらないか。 白か黒か 0か100か 損か得か 楽しいか楽しくないか と、判断基準が極端な人は、 過剰に評価を恐れる傾向があります。 はい。私のことです。 できなければダメ。 中途半端はダメ。 完璧じゃないとダメ。 ダメの烙印を押 ...

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やーやーやー。


やるかやらないか。

白か黒か

0か100か

損か得か

楽しいか楽しくないか


と、判断基準が極端な人は、


過剰に評価を恐れる傾向があります。


はい。私のことです。


できなければダメ。

中途半端はダメ。

完璧じゃないとダメ。


ダメの烙印を押されることを恐れています。



だから、やるなら徹底的にという完璧主義は、

中途半端な状態をみるのが嫌すぎて、

やるかやらないかと極端になり、

それが

部屋がキレイか汚いかという外の世界にも現れてきます。


で、この完璧主義は、

間違えることもイヤ

そして、その間違えることで、

ダメ烙印を押されることを恐れるがゆえに、

いつも

仕事を

丁寧に

迅速に

的確に

無駄なく

美しく

と完璧を求め、

ものすごいエネルギーを使ってしまう。


で、そのエネルギーが今まで、


「評価を恐れて」という

「不快」に向いてるという事に気付かず


膨大なエネルギーを違う方向に向かって発していたため、

結果、いつも完璧なはずなのに、

自分の望まない結果を生んでいた。






望まない結果を見ては、


また

完璧主義はダメだとか、

エネルギーを使いすぎて疲れるので、

ますます動く気力が湧かないとか


負のスパイラルに突入し、

更に自分には価値がないを強めていってしまいます。



でも、よく考えると、


丁寧に

早く

綺麗に

的確に

無駄なくって


めっちゃすごいことなんですよね。




だから、

そのエネルギーを


「不快」の方向ではなく

自分への

「快」の方向に向けると

実はとんでもない威力が発揮されるわけ。



そのエネルギーをまず自分に向ける。


そのエネルギーを自分に集中させる。



めっちゃ喜びます。



そして、


0か100かの判断基準で動いているのを、


途中の2や50や73とか

どんなに半端なとこでも、

今、自分の状態はどんな状態なのかと言うことを自分で判断し、

そこに立ってる自分の反応を知っていく。



自分にエネルギーを投資していく。





0か100かの二者択一は

文字通り選択肢が極端に少ない。


けど、自分はもっと人間的に大きくなりたいと思っているのなら、

そのエネルギーをそこに使うことは苦にならないし、(「快」に向かうエネルギー)


0か100の2つの選択肢を

100の選択肢に増やしてくことは何よりも自分のためになり、

それ自体が楽しみに変わる。





0から100まで、どこに立とうともオッケーを出せる自分を作っていく。


そこにエネルギーを使っていくのだ。


もちろん、

その先にあるのは

自由な選択が増えるという「快」

どんなポイントでも満足できるという「快」



自分で自分を評価していく基準が変われば、

必ず人から評価される基準が変わる。






自分の適した心地よさで今、どの辺りにいて、
どんな風に感じるか。


そこが例えあまり心地良くなかったとしても、


その中途半端な目盛りを感じれなかった自分からすれば

そこを感じられるようになることは、すごいこと。



そして、その判断は、

「どれだけ悪い・どれだけできない」

を判断するものではなく、

もっと良くなるために

「どれくらい伸び代があって、

どれくらいまだ成長できるか

そして、その伸び代を楽しむために今の自分は何ができるか?という

ただ自分の快適指数のスケールにしかならない。



立ち位置を知るだけ。


今、私がいる状態をより良く知るために、

ついに私は

中途半端スケールに目盛りを置き、作動させました。


今までの自分の評価・基準を全力で変えてきます。


他人の評価=自分の評価

から

自分の評価=自分の評価へ。






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やーやーやー。 最近、ちょっと私に変化が起きています。 自分と向き合った後に、 嬉しい事があったり、 不自由な心の制限の鍵が外れ自由をかんじたり、 イライラが激減したりっていうのはよく感じてたんだけど、 なんと、 昨日あたりから、 自然な前向きがチラ ...

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やーやーやー。


最近、ちょっと私に変化が起きています。


自分と向き合った後に、

嬉しい事があったり、

不自由な心の制限の鍵が外れ自由をかんじたり、

イライラが激減したりっていうのはよく感じてたんだけど、


なんと、

昨日あたりから、


自然な前向きがチラっと顔を覗かせたり、

やる気・気力が特に努力してないのに勝手にで始めた。


努力というのは、

やりたくない早寝早起きをしてみたり、

面倒と思う健康管理に気をつけてみたり、

とにかくやりたくないのに頑張ること。


そういうのは一切抜きで、

ただ気持ちに一か月寄り添っただけで

自然に出てきた感じ。



もちろん、気持ちに寄り添う時には自分の感情と向き合うので、


そこに多少の苦痛は伴う。





しかし、

体力

時間

タスクに制限を受けないから、いつでも好きなときにお好きなだけ。



感情にむきあって、辛すぎればまたやめればいいし、

もうちょい踏み込みたかったら踏み込めばいいし、

とにかく、

「今自分は、このことに関して、こんな風に思って、こんな風に痛みを感じるんだな」

って現在地(今の自分)を知って、

そこから、じゃあどうするかという再選択をちょっとずつやっていくだけ。(私は極端だからガンガンやったけどね)


踏み込みが浅ければまた未消化の感情は必ず出てくるからまたその時に感じる。


1カ月前まだ先がまったく見えない私は

不安がたくさんあって、

魔人(なんでもお見通しの心の師匠)に



「やる気ってどうやってだすの~?」

とか

そんなことをよく聞いていた。

すると魔人は

「え?やる気が出したいの?なんで?」

「え、だってやる気ないと、家事するのも面倒だし、やらなきゃいけないことだってイヤイヤやるから全然進まないし。。。
やる気があったら、進み具合が全然違うかな~と思って。。。。」

「やる気っていうのは出すんじゃなくて、自然に出るもんなんだよ」


なるほど。。。。


その時は納得したような納得してないような。

でも、出すものではないと聞いてから、

やる気を出そう!ということにフォーカスをするのは辞めた。

出ないものを出そうとする、、、それってやっぱり苦痛だ。

ま~、考えてみればそうだな。

何か目的があるから

「よ~し!やるぞ~」ってやる気が湧いてくるんであって、

目的が自分のやりたいことじゃなかったら出んわね。


目の前がまだ曇ってて、はっきりとした答えなんて分らなかったが、

とにかく今やることは自分に向き合うことが優先で、

それを一つ一つクリアにしていったらやる気は自然にでるもんなんだな。。。って信じてみた。


自分の腐りかけてる心のススを払っていったら、その中に隠れてるやる気ってのも勝手にでてきてくれるだろうって、ひたすら向き合った。


結果的には、こんな感じ。

自分に向き合う

自分がやってほしいことを一つずつ自分にしていく

心のモヤモヤがはれていく

今まで隠れてた(封じ込めていた)やりたい事、好きな事が少しずつ出始める

私にはやりたい事が実はけっこうあるんだと分る(どんなにちいさなことを含め)

無気力から気力が出始める。

そのやりたい事を想像すると少しワクッとする自分を発見する。

その好きなことを全力でやるために途中の雑多に思えることもこなすと言う選択ができる。(とりあえずやる!も苦痛を伴わずできたりするようになる)


そんな感じだろうか。



好きなことって

趣味だったり、なにか没頭できるものだったりするんだろうけど、


私の場合は、

昼寝だの

ただリビングでまったりするとか

カフェにいって雑談するだったり

ショッピングだの

雑貨やめぐりだったり

読書だったり

そんな他愛もない事。



で、今までも、それはずっと好きだったんだけど、

それが私のやる気を引き出させるまでのことではなかった。

けど、今はそれがやる気の素になってきた。

****


前向き気分に関してはこんな感じ。

今までは

「あかんあかん、もっとこう考えたほうがいいんじゃない?」

なんて、

ネガティブ

ちょっとうち消す

ポジティブ

なんか違う

を繰り返していたのが、


このネガティブがダイレクトにポジティブに変わった感がある!

もちろんまだほんの1部だよ。


参考例としては、

誰かぜんぜん知らない人のブログで

筆者が、

「誰か助けてください~~~」とかって書いてたとする。


それを読んだ私の腹の中(一か月前だったら)は

「いや~、困ってるのか~助けてあげたいわ~」(薄っぺらい表面)

「いや、でもそれってちょっと面倒だよね~」(ちょっと本心)

「だれも助けんだろ~」(さらなる腹の奥)

ってなってたのが、

最近は

「うんうん!誰かおるおる!助けてくれるって人、出るよ!」

って思ってるじゃないか~~!!!!!!!

しかも、そう思わなきゃ~!とかじゃなくて、

自然に!しかもダイレクトに!

すごくね?!

(たぶんこんな風に「すごくね?」書いてるの見ても「すごくね~し!」とかめっちゃ傍観してたり)

今は「すごいわ~!それわかるわ~!」って。

奥の奥には結局腹黒堕天使が居て、最終的にはそいつの言葉がポンってでて終わりだったのが、

いきなりの天使出現!

恐るべし心境変化。

わ、わたし、めっちゃええ人になってまうやんけ~~~!!!!!!!

って、そう考えるとやっぱり私、

「ええ人」になるのも嫌だったんだな。。。。。

って、思った。



ってか、素で善人の人とかマジで信じられなかったんだけど、

自分に優しくしてると、

他人にも「幸あれ」的な思考が出てきて、

そして、「幸ある!」ってちょっと信じられるようになったというか。

そうすると、

わたしって、

昔では考えられなかった「素の善人」にミクロレベルで近づいてるよね。

自分が自分にどう扱うかで、他人への扱いも全く変わってくるのだ。



これは魔人がいつも言うセリフ。




「自分を扱うようにしか他人を扱うことはできない」



今まではとにかく枯れていた自分の心を潤わせることに集中していて、

他人よりまず自分の気持ちに重点を置いていたんだけど、


ついに、対「人」も含めて考えて行く段階に入った。


またこの先も楽しみです。




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やーやーやー。 久々に記事リクエストをいただき、 「お~~~!ネタができたわ~~!」と思いつつ、 とりあえず、今日の気づきを書こうとするkaitekiです。 心のことをお勉強されてる方で、 こんなことを聞いたことありませんか? 「自分の今の現状は全て自分 ...

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やーやーやー。



久々に記事リクエストをいただき、

「お~~~!ネタができたわ~~!」と思いつつ、

とりあえず、今日の気づきを書こうとするkaitekiです。




心のことをお勉強されてる方で、

こんなことを聞いたことありませんか?



「自分の今の現状は全て自分が作りだしている。

そして、その現状がどんなに自分が満足する状況でなくとも、

自分はそこにいることに何かしらメリットを感じ、そこにとどまることを選択している」



と、まあ、上の言葉は私がなんかの本やら発信やらでよく目にする言葉をまとめちゃった感じなのですが、

その文章を読んで、


「え~~~~~!!!そんなん絶対ないわ~~!」

「嫌なこととかぜんっぜん望んでないし!」

「むしろ今の状況は私が望む方向とは真逆」

とか

「こんな不満だらけで、これを私が選択しているなんてありえんわ」


って。。。。。。。思ったことありますか?



私はよく思ってた~~!!


今でもよろしくない出来事が起こったり、不満なことがあったら、

やっぱり「そんなこと思ってないわ。。。。」


って気持ちがある。


けど、自分と向き合うことが進んで来るにつれて、


「あ~~~、やっぱり選んでたわ。。。。」っていうのがだんだんと浮き彫りになってきた。


顕在意識ではどんなにそれを望んでないと思っても、

潜在意識(無意識)のうちに今いる状況から抜け出す事を全力で阻止してるのだ。

大抵の場合は、無意識のうちに足止めをするので、あまり気付かない。




今いる場所が、安全。

恐れや不安があるけど、そこにいる限り、それ以上の恐れや不安を感じる必要はない。

文句いわれようとも、この状態を維持すれば今以上に文句を言われることはない。

責められることはあっても、今以上の最悪な気分を味わうことはない。


今がMAXで今の状態さえ死守すれば、

自分は守られる…





悪いことが起こることを常に意識し、

それを全力で回避するために、

全力で今の状態を守り続ける



今よりはるかに幸せな状況を望んでいるけど、

その幸せについてくる責任、

未知の世界に対する恐れ、

そんなことを考えるとどうしても、今の場所から動こうとできない。



「楽しいところに連れてってあげるからおいで~。」

と言われても、あれやこれや理由つけて結局断る。


楽しいことがしたい、今以上になりたいって思いながら、結局そちらの方には行こうとしない。



結局選んでたのだ。



そういえばそうだった。

いつも意識は損か得かとか

メリットorデメリットは

楽しいか楽しくないか

楽しいならじゃあ、どんなリスクがあるのか。

ってそのリスクを聞いたとたん、「あ、やっぱやめときます~~~」的な。


全力で安心する要素がないと動けない自分。

不快な状況を過度に怖れ、

やっぱりそこに残る選択をしてきたのが今の結果。



意識が常に悪い方向に向かってしまってるから、悪いことが次から次に起こっているように見える。


これをやってるかぎり、

今の状況をたちきり、

自分が想像している楽し世界へ行く事は難しい。




じゃあ、どうやって断ち切るのか。





それは、



自分のことをもっと知るということ。

今、どんなに不満があろうとも、実は心地良くてそこにいる選択を自分がしている、ということを知る事。



自分が今どういう選択をして、

どんな気持ちでそれをやっていて、

どんな恐れがあって、

どんな不安があって、

先へ行く事に対して、何がそんなに足をひっぱっているのか、


無意識に今いる状態が最適と思っているその無意識は何かということをわかろうとする事。




なのです。


人は、この不安や恐れを、あまりに恐ろしいもの、向き合いたくないものと回避しようとするあまり、

自分が今いる状況がどんなものなのかもしっかり知ることができない。


つまり本当は自分のことすら良く分かってないのだ。


自分にとって、

何が「快」で何が「不快」なのかがよく分かっていなかったり、

「不快」を恐れすぎるがゆえに、「快」を感じられなかったり。

更には、

「快」は「快」でも、どの程度の「快」なのか

「不快」は「不快」でもどの程度の「不快」なのかが分らない。


自分のことを「分かったつもり」ではあるけど、

本当にわかっているか、分かってないかは、

「分かった人」から見ると、決定的に違いが分る。


友達から

意外な事を言われたりして、驚くことはないだろうか??

それは、自分では見たくないから放置してる部分が、

他の人から見たら丸見えでバレてるってこと。

視点が違うと見えなかったものが見える。

本人はいつも同じ視点だからそれが気付きにくい。


「視点」のことはまた別の時に書くとして、

今の状況が例え望んでいなくても、自分が望んでいたということをしっかり分ることが大切です。






そして、そのことにやっと気付いた私です。



まことに、自分は「分かったつもり」でした。

「知ったか」もかなりでした。


自分を大きくも見せたいとも思ってました。


視点は、結構大きいつもりでいました。




そして「なんちゃって」とか「できてる風」に気づきました。


もちろん、それは自身の無意識の防衛反応だったんだけど、

自分の行動、言動、不快を洗いざらいし、

無意識を顕在化させていきました。





要は、全て

「今の状況、状態」

が私の姿を教えてくれました。




私はまだちっちゃなちっちゃな枠の中に好きでおさまってるということを教えてくれました。





今日は嵐なのに海に出て行く。

今日は晴れなのに傘をさす。



状況に対して、自分がやってることが「おかしいことだ」「不自然だ」とまず自分が気付くことがとても大切。


分からない状態で生みだす願望は全て不快な意識を消し去ろうとする意識から出てくる願望なので、

一向に自分の望む方向へ行けません。


まず、沢山自分のことを知ってください。


自分のことは自分がよくわかってると思ってますが、

都合のいいように解釈してるのが自分です。

今考えてることが、

誰にも批判されることなく、

誰にも責められることがないとしたら、

今どんな気持ちを素直に吐き出しますか?

自分に教えてあげてください。




本当は、どんな気持ちが自分の中に存在してるのか…













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やーやーやー。 久々にキッチンネター! 私は以前、 ・洗い物を溜めるのは毎度の事 ・三角コーナーのゴミを匂わせる ・洗っても食器棚にはしまわずそのまま使う ・キッチンの足元にはお酒の箱やら色んな箱が散乱 ・開くはずの扉を物で塞ぎ、開けられない ・カウ ...

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やーやーやー。



久々にキッチンネター!




私は以前、

・洗い物を溜めるのは毎度の事

・三角コーナーのゴミを匂わせる

・洗っても食器棚にはしまわずそのまま使う

・キッチンの足元にはお酒の箱やら色んな箱が散乱

・開くはずの扉を物で塞ぎ、開けられない

・カウンターの上に出してる調味料は油ギッシュ

・料理はいつも片付けから


という生活をしていた!



今は、その頃と比べればはるかに綺麗で、料理、片付けのしやすい環境を整えてる!と自負しております!(注.もちろん私の中の基準で!)



昔の記事にもちょいちょい書いてますが、

記事で少しまとめたいと思いまーす。







★キッチン改善の為にやったこと






・つけおきのオケを撤去(つい溜めてしまう。汚れが緩んでから…という言い訳で洗い物放置を許していた。オケを洗うのも面倒)

・三角コーナーを撤去(網網の目を歯ブラシなどで洗うのが面倒。よくカビさせていた。)

・キッチンマットを撤去(床が汚れたり濡れるのを防ぐつもりがマットの下は汚床)

・食洗機を洗ったお皿の一時置き場所に認定→なるべく早いうちに拭いて戻す

・食器棚の中を6割収納にした。(違う種類の皿を重ねない。奥に物をいれない。同じ種類の皿は重ね、同じ種類のコップは奥並べ、住所が決められない皿は手放す)

・動線の見直し(使う物を使う場所のすぐそばに収納を確保)


・マイクロファイバー布巾導入(驚きの吸水性で、最後のスプーンを拭くときの布巾ビタビタの恐怖を緩和)

・いつでもキレイな布巾を使えるように布巾だけは15枚ほど用意。一度使った布巾は2回と使わない。
(拭いた物に匂いがすると、やり直し、食器棚に戻すのが嫌になりまた放置になるのでそれを回避)

・水筒など乾かすのに時間がかかるものも指定席にて乾かす(出していてもオシャレなオシャレザルを購入し、そこで乾かす)


・油が散って、掃除が面倒なものは全て収納。表に出さない。


・ほとんどのものを片手、2アクションで取り出せるように改善。
箱イン箱などを徹底的に剥き出しにする

・新しい物を買ってきた時点で、パッケージ、フィルム、袋等を剥がし、すぐ使える状態に。(宝物のように保管することを防ぐ)




と、改善した事を書いていると、

ほんとに手間がかかることは全て無くしたという感じだ。


物の見直しは一気にやったが、

その後は改善、挑戦(タライを捨てるなど)改善・挑戦を繰り返した。



で、私の少ない、よそのお家のお片づけ経験から分析しますと、


キッチンが綺麗になったら、料理がしやすくて、品数も多くなって、料理が苦痛じゃなくなりましたー!なんて事になっても良さそうなのだが、

私は、

綺麗になっても料理は苦手という事が判明し、

片付けしてないから料理ができない…とか

そういった理由じゃなく、

素の自分の事をより知れるきっかけになったと思う。


そして、

料理も大してしないのに綺麗になったキッチンでじゃーどうすんだ!という話ですが、


私が単に気持ちいいだけです!!!!


うちはキッチンが、LDKの目立つところにあり、

リビングに入る時にも必ず目に入る、かなりオープンなキッチン。


料理しようがしまいが、

とにかく目に入る。

その部分が綺麗だと、ほんとに嬉しい。

精神安定剤です!!!


自分に優しい収納と使い方、

自分にとってのベストを考えていくと、

だんだん使いやすいキッチンに変身します❤︎

今、ほとんど手を加えずにほぼ1年くらい経ってます。

そこに行くまでも1年くらいはかかったかな。


コツコツ地道に。


レッツ自分が楽!!












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やーやーやー。 解毒話続けまーす。 ************* 2年前くらいに、 親の嫌だったところ、こうして欲しくなかった、ああして欲しくなかった、あそこが嫌、ここが嫌、一体なんなのこの人みたいな呪いのような書き出しをノートにした。 全て残らず紙に ...

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やーやーやー。

解毒話続けまーす。



*************




2年前くらいに、

親の嫌だったところ、こうして欲しくなかった、ああして欲しくなかった、あそこが嫌、ここが嫌、一体なんなのこの人みたいな呪いのような書き出しをノートにした。


全て残らず紙に書き尽くしたら、

何故かその後に親のいいところがポツリポツリと出始めて、

親のことが許せてきた…って事を書いたのだが、


まさに、それを自分自身でやった感じだ。

(参考記事:親への逆恨みの消し方




自分を嫌い切って、

過去を嫌い切って、

自分の気持ちを聞いて、

正面きって

分かってやったら、

いいところが顔をのぞかせ始めた。




過去を思い出してると、


「なんなん!!私、けっこう楽しんでんじゃん!!」

「むしろ、今よりめっちゃ生きてる感満載で生きてたんだわ!」

って感じて、


それが分かったとき、


「あーーー、私、

自分が今不幸だって思いたくなかったんだ!

”今が一番に幸せ”って思いたかったんだ!

だから、過去も、今までの自分も、


すべて”今以下”に作り上げてしまったんかも!!」


って思った。


幸せだった事も無かったことにして、

今を最高であるとしたかったんだ。


そして、私の中の私が

「もう、それいいよね…」って言ってくれた。


私の中の私が、

私が歩み寄ろうとした事を認めてくれたのかもしれない。


だから楽しかった事も、思い出せるようになったのかもしれない。


「幸せだった自分もちゃんといたんだよ!今度はそっちを思い出してあげな!」って許してくれたような気分。



解毒作用。


急にそんなことを思うなんて、すごく不思議だった。


毒といえば、



実は私、




巳年で、蠍座の女。





毒2倍です。



その毒を今まで出し切れずに、

全部自分に吐いて、自分を攻撃してた。


毒を出して、人を傷つけないようにする代わりに、

全く出さずに自分の中で溜めてた。


そんでもって、

解毒できずに苦しんだ。


でも、毒って、

誰かを攻撃するために出す必要もなくって、

防御や攻撃するために大切に溜めとくんじゃなくて、


体に取る栄養と一緒で、

必要なかったら勝手に出てくんだ!って思った。



要らないって自分で判断するor判断されたら自然に出るんだ。



弱いから

「わたし、毒もってまっせー」

って周りに言って、怖そうに見せて、大きく見せて、警戒させて、近寄らせないようにしてた。


その毒が自分には必要だと思い込んでたのかも。




わたし、蛇だけど弱いんです。

蠍だけど、触ってもらっても平気な蠍なんです…


つかめるんです!!


ってか、むしろ触って欲しいんですけどー。


毒毒しさを隠すでもなく、

攻撃に使うでもなく、

溜め込むでもなく、

ちょっと生産されたら、その都度自分で解毒。


「毒??あ、大丈夫ですよ!さっき会う前におしっこで出してきましたから!」

ってな丸腰でかわいい蛇になろうと思う。



長すぎましたが、

以上、新月に起こった不思議な解毒のお話でした。









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やーやーやー。 先日10日から昨日まで新月でした。 新しい事を始めるのに最適とも言われていて、 「新月の願い事」をやられてる方も多いのでは。 新年の抱負を考えたりするように、 新月も一つの節目として、 何か新しい事をしたり、 決意をするのにも パワーが ...

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やーやーやー。


先日10日から昨日まで新月でした。

新しい事を始めるのに最適とも言われていて、

「新月の願い事」をやられてる方も多いのでは。




新年の抱負を考えたりするように、

新月も一つの節目として、

何か新しい事をしたり、

決意をするのにも

パワーがもらえる気がして私は好き。


で、その新月の存在を意識したのがなんとほんとに最近なんですが、

新月の前に、私、どうも落ちるみたいなんです。


なんだか、ワケも分からずただブルーな気持ちになるんです。


で、「明日新月よー!」なんて友達に言われてから

「あ!だからか!」って、

いつもワケの分からないブルーを納得させてます。(生理前のイライラを納得させるような感じ…笑)


で、ひとしきりブルーを感じると、

なんと、その後に行くトイレでとんでもないものを見るのだ。


おしっこが黒に近い茶褐色!!


初めて見たときにはそりゃーもう驚いたけど、

今は、

それを見たら


「また体から毒出たわー!」って気持ちになって、

その後は気分が段々と登ってきます。


この、異様なおしっこ。

実は、魔人(何でもお見通しの心の師匠)のセッションの直後にもあった。


ますます、

解毒説が自分の中で強くなった。


で、先日のこの解毒した後にふとまた自分の事考えてたら、


あれ????


私、なんか、


自分の事責めたり、

悲劇のヒロインにしたり、

負にどっぷり浸かる事に

「もーいーよね?」って思ってる??

ってな、ちょっとした不思議サインを発見。


自分の悲しいと思ってた過去や

自分の姿を全部見ていった過程で、

「もうそれ飽きた」とかって感覚じゃなくて、



「もうそれ以上やっても同じとこしかいかないよ?まだやり続ける?一生悲しい気持ちだけに向き合って生きてくわけじゃないよね?

私のことはもうけっこう分かってもらえて安心したから、これからはまた自分の楽しみにどっぷり浸かりな。もちろん、今度は私を丸無視せずにね!」

みたいな感覚。

切り替えの時が来たと思った。



小学校時代、

大学時代、

カナダ時代を思い返していると、

結構我ながらたくさんの不幸話を持ってたと思ってたけど、

なんと、

一昨日過去を思い出すと、

楽しかった思い出がどんどん出てくるようになった。

あんなに悲しい、辛いって思ってた過去の中に

ちゃんと、めちゃ楽しんだでた自分がいたよ!って自分が顔を出し始めた。






続く…

(なんか、長文途中でぶち切るの下手過ぎて、後半が長くなります)


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やーやーやー。 朝起きて、 子どもを送り出し、 家事をちょこちょこっとやって 後は子どもが帰ってくるまで テレビ見たり、 昼寝したり、 気がむいた事をやってみたり。 私にとっての最近のテーマは、 何をやるかじゃなくて、 それをどんな気持ちでやるか。 ...

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やーやーやー。



朝起きて、

子どもを送り出し、

家事をちょこちょこっとやって

後は子どもが帰ってくるまで

テレビ見たり、

昼寝したり、

気がむいた事をやってみたり。



私にとっての最近のテーマは、


何をやるかじゃなくて、

それをどんな気持ちでやるか。



「昼寝一つも気持ちよく!!」

これって、簡単そうで結構難しい。



だって、家のやる事溜まってたら、寝入るまでぜんっぜん気持ちよくない。

何もしないで、「寝ること大好き」なことを認めなきゃいけない!

罪悪感なんて感じたら

昼寝が台無し。

かと言って、罪悪感無く…なんて言い聞かせてるような状態だったら最高の昼寝には程遠い。


起きたら起きたで、子どもが帰ってくるまでの時間が少なくなってるわけだし、

その事に焦る事もなく、

ただ、

「あー気持ちよかった!」なんて思える昼寝ってちょー幸せ!!


結局、その何もしない事や

どんなにしょーもないことだとしても、

それをどんだけ気持ちよくできるか!!





自分のやる事を全力で肯定できる事が私の幸せ。





その自分が許しきった至福の時を味わうために、

家事とか、

雑用とか、

まー、わたし的には、「しなくていーんならしたくない。」ってな事も、

その「最高の何にもしない!」を作り出すためにやっちゃう。


イヤイヤでやる家事と

気持ちに余裕がある時にやる家事、

同じ時間、同じ場所、やる事同じなのに、

気持ちですごく変わる。

いつもその違いをきちんと感じながら家事するようにしてる。


私の心地いいと心地良くないをしっかり知る。


私の場合は週3日は家にいてゆっくりする事が理想なんだけど、

それは、今までの経験からして、

このくらいが一番家が綺麗で、

一番気持ちに余裕があって、

一番落ち着くから。


そして、その状態を保ってたときの昼寝がこれまた気持ちいいんだわ!!!!



人に会うのも大好きなんだけど、

調子に乗って外に出すぎると、いつも自分の首を苦しめる羽目になる。

じゃあ、

友達に会う前にやる事しっかりやって、

外に出るために家事を楽しんでやればいい!ってなってもいいはずなのだが、(もちろん、それでやる気になる人もいーっぱいいるはず)


私は、

その事よりも、

綺麗な家で一人まったりするためのほうが、よりやる気が出る。



しかーし!!!


先ほど申しましたことと重なりますが、


これ、自分の中でモヤモヤしてることがあったり、

気持ちが穏やかじゃないと、

昼寝どころか、

家事もできず、

ほんっとに、

何もしてないわ、家もくちゃくちゃだわ、何をしたのかもよく分からんわ、自分を責めるわ的な


本当に虚しさ満点の1日が出来上がる場合もある。



それは自分にも優しくないな…って思うので、

ちょっとやりたくないな…面倒だな…って思う時でも、


なるべく、

その私が望んでいない状態にならないように、

面倒な事もとりあえずやっちゃうという選択をしている。



「やりたくないことは辞めて、やりたい事だけをやって生きていく!」って発信を良く見かけるけど、

これ、言葉の通りに受け取っちゃったら、

本当に生活成り立たなくなるからね!(私の場合ね…やりたくないこと全辞めしたら多分私専属の付き人要るわ…歯磨いてもらったりね。)





そこんとこを上手く折り合いをつけつつ、

やりたくないことを全削除する事に全力を注ぐんじゃなくて、

やりたくないこととも上手~く付き合いながら、やりたい事を全力でやれるのが私の理想。








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やーやーやー。 子どもを育てるとき、 たくさんの喜びや、嬉しさを感じます。 同時にたっくさんの葛藤、イライラも感じます。 で、そのイライラや葛藤を感じるとき、 その子どもの言動や行動をどうにかしたいと思い、 それに対して一生懸命「対処」しようとする自 ...

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やーやーやー。





子どもを育てるとき、

たくさんの喜びや、嬉しさを感じます。

同時にたっくさんの葛藤、イライラも感じます。

で、そのイライラや葛藤を感じるとき、

その子どもの言動や行動をどうにかしたいと思い、

それに対して一生懸命「対処」しようとする自分が出てきます。




でも、対処は対処であり、

根本的な原因の解決にはなりません。







例えば、

・言葉使いが悪い子どもにどうにか言葉使いをよくさせようと注意し、直させようとする。(対処)

・準備が遅い子に、早く準備させてちゃきちゃき行動できるようにさせる。(対処)

・片付けができない子どもに、片付けしろしろと促しなんとか片付けができる子になるように育てようとする。(対処)

・何かしら親が気に入らない事をすると直させようとする(対処)


これらは状況に対する「対処」です。


以前、対処のことについてこんな記事を書きました。
↓↓↓
対処の達人


この記事は自分の事を書いてますが、

子どもにも全く同じことが言えます。



とにかく、出てきた問題に対して一生懸命対処する。


しかし、それでは、

限界もあるし、

何しろ自分が疲れます。


そして、対処している間は


自分が「我慢」をしている状態を強いられます。


対処しているうちは、

かなりの「努力」も必要とします。





「顕在意識の努力はある程度の成果は出るけど続かない」んです。





努力しているうちは、

ある程度の成果はでます。

言葉使いを直せと言ってるうちは、多少は直ります。


強制的にも直すことはできるかもしれません。


でも、言ってる自分も言われてる相手も、かなり苦痛です。




お互いに我慢が発生してます。



その我慢がストレスに変わり、

一旦言葉使いが直ったとしても、そこで出てきたストレスがまた違う問題を引き起こします。




我慢が増えると


「うちの子って本当にどーしょーもなくて手に負えない」

が出来上がります。


対処には限界が出てきます。


じゃあ、対処じゃなくてどうするのか?


というのは、

なんでその状態になっているのかという根本的な原因を探るのです。


単に言葉使いが悪いと言ってもたぶん理由は千差万別。



子どもに聞いてみます。


色々出てくると思います。

親に素直に何も言えなくなってる場合は、さらに引き出すのに時間がかかるかもしれません。



・友達の間で流行ってる

・かっこいいと思うから

・一時だけの癖になってる

・母親に反抗したい気持ちがある

・単に、他の言い方がわからない

・意外と親の真似をしている



そんな感じで、子どもには子どもなりにそれをしている「理由」があり、

それをするときの「気持ち」があります。


その「気持ち」を無視して、表面に出てきてる上澄みだけをすくい取って、

あーじゃない、こーじゃない、それはダメ、これはダメと言っていると、



子どもは本当に苦痛です!!!!


そして、何が苦痛かというと、

「口が悪い子どもを見てる自分」、「さらにそれが直らない子ども」、「直せない子ども」を見る自分自身が何よりの苦痛を感じます。

そう、苦痛なのは自分です。


そうですよね。

だって子どもは別に言葉使いが悪くても

本人には何も困ってないのだから。


困ってるのは母親です。



で、ここで、

なんで困ってるのか、

なんでそんなに直させたいのか、

なんでそんな言葉使いをしてるのか

を辿っていくと、



必ず「自分」にたどり着きます!!!!


結局、子どもの言葉使いが云々の話じゃ無くなるところに来ちゃいます。


そこで、改めて、

根本を見直すと、


あーら不思議。


あんなに気になってしょーがなかった子どもの言葉使いがなぜか変わります。


このアプローチは

子どもに「直せ」と言ってません。

ただ、

なんでそうするのか、

なんでそうやりたいのか、

ただ理由と気持ちを聞きます。


なんか見えてきませんか????


自分が子どもの時に


「あー、自分も母親にそうして欲しかったんだ。」って事が…


自分の気持ちが分かると、子どもの言動、行動がガラッと変わります。


毎日叫び散らして、

大声出して、

聞かないから余計に声が大きくなって…


もうそろそろ疲れた自分を癒してあげたくないですか??




子どもの行動が直ったら親の疲れが取れるんじゃなくて、

親の疲れが取れたら、

子どもの行動が自然に変わります。











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やーやーやー。 今日はワクワクのお話。 本でもブログでもやたらと目にするワクワク。 ワクワクする気持ちで物事を取り組んだり、やりたい事を考えたりすると、 願望が実現する速度が一気にあがるとか。 同じ「やる事」でも 義務や責任、不安からくる気持ちでやる ...

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やーやーやー。



今日はワクワクのお話。


本でもブログでもやたらと目にするワクワク。

ワクワクする気持ちで物事を取り組んだり、やりたい事を考えたりすると、

願望が実現する速度が一気にあがるとか。


同じ「やる事」でも

義務や責任、不安からくる気持ちでやるのと、

ワクワク、楽しい気持ちでやるのとでは、

全く結果が違うし、

ワクワクの気持ちでやれば、全てが味方し始める。と…


それは、自分から出されるエネルギー、振動数や波動などが、

後ろ向きで物事をやるときに出されるものと全く違うから。


楽しんで物事をやっていくこと、

ワクワクの気持ちを持って思考することがどれほど現実にいい影響を与えるかということも、結構細かく色んな本に書かれている。


要は、

「考えただけでもワクワクするようなこと見つけて、

ワクワクした気持ちでそれをやったら、

ワクワクするような結果がどんどん生まれるっちゅーことやな!!!!!」



って言うのは、かなり前から頭で理解してる私だが、


問題が一つ。


私は、


何を考えても、

何をしても、

あまりワクワクすることがないという現実!!!!!悲


そりゃ、現実もたいしてワクワクすること出んわね。




旅行とか

宝くじ当たる!とか

家をめっちゃ自分好みにする!とか

新しいことやってみる!とか

おもしろパーティー開いてみる!とか、


色々想像はできるのだが、



あんまりワクワクしないんです!!!悲


全くないと言ったらそんなこともないんだけど、


とにかく少ない。


しても、

それを考えたらワクワクし過ぎて寝られない!とか、


楽しみ過ぎて目が早く冷めた!とか、


その楽しみのために、準備万端にしておく!とか、


あの小学校の時にはあったはずのワクワクがほとんど出ないんです!!!



どんなに小さなことから、

壮大な妄想をしても、


キュンキュン来るものがあまりないんです!!!!


いや、ほんとは、キュンキュン来るものがないんじゃなくて、


私のワクワクマインドが枯れていて、

キュンキュンするはずのものですらキュンキュンこないんです!!!!泣(←もうわかったってば!)


ザ・枯渇!!!!!





色々やる事妄想しても、


きっと心のどこかで、

「たかが知れてる!」

と冷めて見てしまってるんです。


何かする前から、

想像、予想、希望の時点からすでに

結果に対して

「やらんでも、だいたい想像できる」

「それはもう経験済。楽しむ事はできるけど、ワクワクはしない」


みたいな、


非常に痛い女。


カッサカサの女が出来上がっております。


スーパーの袋詰めする台の上に

無造作に置かれている「手を湿らせる様の布巾」があるが、

その布巾自体、水分が飛んでカッサカサになってて、

結局誰にも潤いをあげることはできない…みたいな。(もーえーって!カサカサは伝わった!)




で、

ここからは私の予想ですが、

これが「心がウルウルしてる人」っちゅーのは、

ほんとに些細なことでもワクワクしてると思うんです。

美味しい晩御飯作る事を考えるだけでワクワクする!とか

週末家族と出かける予定があるだけでワクワクする!とか。


はたまた

やりたい事を実現するステップを考えてるとワクワクする

また、それが実現した時の事を考えるとワクワクする!みたいな。


目標や目的の大きさではない。


大きい目標だから、よりワクワクするとかじゃない。


どんなに小さなことでも、喜びを見つけられる心!!!!!です。




だから、


私のこのカッサカサに枯れ切った心に少しずつ水をやり、

少しずつでも潤いを与え、


冷め切った目で見る心に

「現実ってもっと楽しいもんなんだよ!」という事を一から教えてあげねば!!!!なんです!


そう、子どもに戻って!!

子どもの時にやって、褒めて欲しかった事を、


今、手放しで自分が褒めに褒め、

喜びに喜びまくるんです!!



まだできる!とか

もうちょっと頑張れたんじゃない?

とか、


そんな言葉が欲しかったんじゃねー!!!!


親でも旦那でも友達でもない、

本当に喜んでほしいと思ってたのはきっと自分の中にいる自分!!!




今からでもじゃんじゃん私に素敵言葉掛けてやるぜー!!






きっと今までの経験で、相当、

「頑張っても、苦労しても、辛い思いしても大して報われない!」


と、心が信じきってしまっている。


だから、


少しでも、

ちょっとでも

解きほぐしていきたい。


ワクっとくらいにでも感じた時にはその気持ちをとっても大切にしてあげたいと思う。


そして、

その気持ちに従った結果に、

どんなに小さなことでも

「喜び」があれば、

大げさなくらい喜んであげたいと思う。


きっとそれの積み重ねで、


またワクワクした気持ちは必ず戻ってくる!!!



自分が喜ぶことこそが、

次の自分のやりたいことにつながる。


また自分はそのご褒美のために一生懸命ワクワクを探すだろう。

自分が喜ぶことこそが、自分が一番嬉しいことだから。



今までは、ただ必死に生きて、

自分の中の水分が少しずつ抜けて行ってることにすら気付けてなかった。


けど、もうわかった。


私は、

カッサカサやーーー!!!
(←わかったよ)



パキパキで劣化して割れる前に、

少しずつ水分入れてくぞーーー!!!




以上、夢が云々の前に、ワクワクに問題ありのkaitekiでした。








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やーやーやー!!! やーやーやーやー!!!!! 新年あけましておめでとうございます! 今年もどうぞ、どうか、何とぞよろしくおねがいいたします! さてさて、新年一発目の記事ですが、 わたしらしい、どえらい長い記事ができました!!! 私の今年の、いや、こ ...

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やーやーやー!!!

やーやーやーやー!!!!!



新年あけましておめでとうございます!


今年もどうぞ、どうか、何とぞよろしくおねがいいたします!


さてさて、新年一発目の記事ですが、

わたしらしい、どえらい長い記事ができました!!!


私の今年の、いや、これからの辿る道!を、わたくしの過去と共におさらいしながらお送りいたします(←年末にやれ!)



時間が無い方はまた戻って来てくださいませ。



****************




2年前、私は心も体もくたびれて、

色々な事に振り回されている自分がすごく嫌になった。


他人の事にいちいち反応してしまう自分。

常に誰かや何かと比較する自分。

何か特技や秀でたモノがないと不安になる自分。

周りの人に自分の事を理解してもらいたいと思う自分。

動けば必ず、あれでよかったのか、これで良かったのか、もっとこうすれば良かったんじゃなかったんだろうかと後悔する自分。

すぐに優劣をつけたがる自分。

お金。

人間関係。



要は外的な要因で一喜一憂したり、自分が左右されたり、心がかき乱される自分にうんざりしていた。

そんな風に外からの刺激によって

ストレスを感じたり、プレッシャーを感じたり、不安や不快な気分を味わったりで、

本当に疲れ果てて、体ももう思うように動かなくなってしまった。

でも、そんなうんざりした自分だったけど、

「部屋がキレイになったらもう少し、色んな事ができるのに。。。。」と思う気力はなぜか残っていた。

人生なんて、もうどうでもいーわ!とは心の底から思えず、まだ何かもがこうとしてる自分はかすかに残ってた。

もちろん今となっては「部屋がキレイになったら。。。」なんて考えすらも

自分の幸せに条件をつけてたんだろうなと思うけど、、

当時は、その条件が私を救ってくれたんだと思う。



ほんとに、その時は、ゴミ一つ拾う気力も残ってなくて、

そんな力が残ってるんだったら、お酒でも飲んで、現実逃避して、

自分が辛いと感じる世界から少しでも離れていたいと願っていた。


で、現実逃避の日々がかなり続く中でも

やはり「部屋がキレイになったら」という思いはずっとどこかしらあって、

とことん落ちるとこまで落ちたあるとき

「部屋がキレイになったらなったら。。。って言うんだったら、じゃあ、部屋をキレイにさえすれば次に進めるんだよね?わたし?」みたいな

私の中ではほんっとに針に糸が通るか通らないかくらいの小さな穴から見える

小さな希望のようなものが見えて、

その小さな希望にすがってみることにした。

で、まあ自分で家を丸ごと片付けるなんて

そんな気力も体力も無かったわたしは、

「整理収納アドバイザー」に頼んで部屋の片づけを思いっきり手伝ってもらったのだが、

その片付けをした後は、本当に人生が変わったかのように思えた。

そのくらい、片付けの威力はわたしにとってすごくて、

空間・心・時間のゆとり


を全て与えてくれたと言っても過言ではない。


ひどい精神状態だっただけに、

とてつもなくすごい変化に感じられた。


だから本当にお片付けに感謝してる。


私はその片付けというきっかけがあったからこそ、

さらに、

自分をじっくり見つめて行く時間が増え、

今、本当に自分が経験してみたいことが見えてきた。





自分が本当に経験してみたいこと……




それは





「本当の自由」






外の世界に何も左右されることなく、

自分で、自分の喜びを作って行く事。




「こういうkaitekiだったらすごい!」

「こういう私だったらステキ!」

とか、条件付きでのみすごい私じゃなくて、

「無条件で私が私を受け入れられるか」ということを経験したくなった。



この思いが強くなってきたのは、本当にごく最近。

いや、きっと片付けをする前から、ずっとそうなりたいとは思ってたんだと思う。

けど、その思いを言葉にするまでには全然至らなくて、

どういう状態になりたいかすらも自分自身がよく分かってなかった。


私がやりたいことはそんな精神的な充実じゃなくて、もっと他にあるんじゃないかとさえ思ってた。



片付けをしてから、

価値観もガラっと変わり、

思考もかなり上手くコントロールできるようになってきた。

自分なりにとても生活が楽に感じられたし、

自分を不満にさせている外的な要因さえもそこまで気にならなくなっていった。

お片づけをする前と後じゃ、

全く違う生活、全く違う人生というくらい嬉しい変化を沢山感じた。

それは私に与えられたご褒美のような、喜びの感覚。


でも、その喜びをひとしきり味わった後

自分の中に存在している「違和感」のようなものが目立ち始め、

それが無視できなくなってきた。

今までは、その違和感は、ただ流されていたり、

自分の中でなかったことにしていたり、

そんなに気にしなくても良かったはずだったことが

平穏な日々を取り戻すにつれて、

だんだんと目立ち始めてしまったのだ。


そして、その違和感は無視しようとすればするほど大きくなっていき、

また、私に無視できないくらいの精神的なダメージを与えかけていた。


私は、その違和感が何かと言う事を一生懸命探した。


その「違和感」というのは、全て外的要因でてきていると思っている「私が持つ不快な気持ち」だった。



お片づけした時に、ほとんどの不快な気持ちを整理したつもりだったが、

そんなのはまだほんの一部だったらしく、

根っこにはびこって残っている気持ちがまだまだあった。


生活しているとあらゆる場面で出てくる不快な感情


不安、恐怖、悲しさ、寂しさ、



子どもと接するとき、

物事が上手くいかないとき、

やらなきゃいけないことがやれないとき、

自分の時間が取れないとき、

お金の問題

夫に言われる何気ない一言

人の言動を見て否定したくなってしまう自分。




そんなときに湧き上がる不快な気持ちを見て見ぬふりして、

気のせいだと言い聞かせ、

何事も無かった生活に戻ろうとする自分。



そんな、私が必死で避けて通ろうとしていたとこにこそ、

自分が一番求めているものがあるということが分かってきた。



一番求めているものにたどり着くために、

一番やりたくないことをする。


無条件の自分に喜びを感じるために
条件をつけて物事を見ていた自分ををすべて見直していく。


「まだ条件めっちゃ付けてるよ!」

っていうことを私に教えてくれる全ての「不快サイン」

それを、一つ一つ無視せずに感じていく。



このことに気づけたことにすごく胸が踊った。




本当の自分に戻って行く感覚。

本当の私に呼ばれている感覚。

それは、目に見える結果がなくても、喜びで満たされることが分かる感覚。

そして、その道のりでさえも楽しめる感覚。

私がそれをしたいって望んでる。




本当の自分に会いに行くと決め、

本格的に自分と向き合いはじめてまだ数カ月。

でも、明らかに沢山の変化を感じている。

心の変化が、

今まで気にしていた外的なことですら気にさせなくなり、

また、気にならない現実に変わって私のところにやってくる。

一つ一つ積み上げていったら、どんなに楽しいところに行けるのだろう。




私は、自分になんにも無くて、本当に寂しかった。

自分のやりたいことが見つけられない自分をずっと責めていた。



けど、今なら、こうも思える。

何もないからこそ、何もない世界で、何も報われそうにないことを自分のためだけにやることを決める事ができた。

「自分のためだけにできることを一つ一つ自分にやっていく」

今まで散々放置してきた自分の心が、

この決意をした時にすごく喜んだ。



精神的な世界だって、現実の世界だって、スピリチュアルな世界だってなんだっていい。


どうせ生きてるんだ。

どっちにしても生きてる。

何をしたって生きてることに変わりはない。

だったら、私が喜ぶことをしなくて何をする。

死ぬ時には、

自分は喜んで死にたい。

死ぬ時に喜んで居られるためにも

やっぱり生きてるときから喜んで生きて行かなくちゃだ。


何年かかるかも分からないし、

一生かけても終わらないかもしれない。

けど、

それをやったら


「自分が喜ぶ」


ただ、それだけを信じて、

2016年もわたしはわたしに誠意を持って尽くしてあげたいと思います!!





長い記事読んでくださってほんとにありがとうございます!
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