おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

2016年12月

やーやーやー。 今年も残りわずか。 ほんとにあっという間でしたー!! 新年用にしめ縄を準備。 私の大好きなプチロンさんで買いましたわ。 最近のしめ縄はかわいいーーー!! しめ縄をアレンジなんて、ひと昔私の私には無かった発想。 さてさて、 今年一 ...

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やーやーやー。


今年も残りわずか。


ほんとにあっという間でしたー!!


新年用にしめ縄を準備。

私の大好きなプチロンさんで買いましたわ。






最近のしめ縄はかわいいーーー!!


しめ縄をアレンジなんて、ひと昔私の私には無かった発想。



さてさて、

今年一年、未来の不安をほぼ感じずに過ごした私です。

その中で感じた事は、


「ほんまに未来なんて案ずる事はない」


って事です。


ほら、昔、良く言われてたんです。

先のこと考えて今行動しないと、怖いことになるで。

良く考えてから動くのがいい。

今それやったら、次の楽しみがなくなるで。

今貯金しとかんと、先でなんかあったときに苦労するよ。

今我慢したらまたいい事あるから。


そういった言葉(思い込み)に縛られて、

今をとりあえずスルーしてたパターン。


今したいことを我慢して、喜びを先で受け取ろうとしたり。

これ、我慢したら、次は倍の喜びを味わえる…とか。笑


けどね、それ、いつまでたっても受け取れないって思いました。


今、受け取れないんだから、


先の「今」になってもまた先送りするってやつ。


今存分に、思うこと、感じること、やりたいこと、やりたくないことをそのまま経験すれば良かっただけでした。


やったことないから、最初は不安。

不安に飛び込むのって勇気いるけど

その不安の中にこそ、見たい景色があるって言うのかな。

ま、結局、そこには何にもないんだけど、

何もないこと、何も心配もいらないこと、

全てはそのままで問題ないってことに対して、

勝手に心配したり不安になってただけで、

それらは全部錯覚なんだよってことだったんです。



未来も過去も頭の中にあるだけ。


今起こってないことに対して時間とエネルギーを消費するより、

目の前のことをただ楽しむだけでいい。


今にいるだけで、こんなにシンプルに目の前のことと共に過ごせる。


なんや、そんなんで良かったんだ。


上手くいくこともいかないようにしたり、

上手くいったとしても、山あり谷ありにしてドラマを作ってたのは自分だったんだなって。



まずは、「こうやったら、こうなる」っていう過去の経験で染み付いてしまった概念をリセット。


何かやる度に、不安とか心配が出てきたら


「いつも新しいし、今回はどーなるかわからんし!」って気持ちで起こることを信頼する。(根拠なしに!)


原因と結果の法則を当てはめない。


こうやったから、こうなった…という分析は、自分を責める材料になりがち。時に後悔の念を強めます。

こうやったら、こうなる…という予測は未来の可能性を限定する。こうやったら、どうなるかわからない!が真実!笑


起こることは毎回新しい体験だから。


起こる出来事に、「原因と結果」という概念をいつも人間は後付けで当てはめてるだけ。


こうやったら、こうなるって決まったようにならないことのほうがむしろ多い!!


コップは落としたら割れるって言うけど、割れないことだってある。

割れたとしても落としたことと結びつきはない。

そこには「落とした」と言う経験と

「割れた」っていう経験があって、

2つはほんとは結びついてない。


結びついてないものを、

落としたから割れた…と私たちは即座に原因と結果を当てはめ、

そこから、

なんであそこで手を滑らせたんだ、

注意が足りなかったとか、

子どもが騒いだから気をとられたとか、

どんどんどんどん話を膨らませてしまう。



実際は、

落とした!終わり!!

割れた!!終わり!!

以上、理由なし!!!


そうだからそうだった!!以上!!


こんなにシンプルなこと、

一個一個完結のことを、

私たちはどうしても結びつけて納得させようとする。

そして、結びつけて話をビッグに引き伸ばしていく。


理由もなにもない

ただそうだったとシンプルに終わらせるだけで、

次の今に新しい可能性が常に広がる。




1つ1つの経験をシンプルに受け止め、

未知に心を開くと

全ての単純さに驚く。




話がえらい逸れた気がするけど、

このシンプルさに気付いて、みんなどんどんシンプルに生きれたら素敵だなって思う。


笑って、

楽しんで、

怒って、

泣いて。

その場で完結、ただそうであることに安心していられるように。



皆様にとって、素敵な年でありましたように。
皆様にとって、素敵な年になりますように。
そして今、平安でありますように。

今年の更新はこれでおしまいです❤︎

また来年もよろしくお願いします!



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やーやーやー。 お元気でしょうか~~? ちょっと前に書いた記事を見てみてたら、 おお~~~こんなこと書いてたんやな~~、 いったい誰が書いたんや~~、 って思えるような不思議な感覚に襲われております。 時折ですね、 質問をもらうんです。 「この不安をど ...

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やーやーやー。

お元気でしょうか~~?


ちょっと前に書いた記事を見てみてたら、

おお~~~こんなこと書いてたんやな~~、

いったい誰が書いたんや~~、

って思えるような不思議な感覚に襲われております。



時折ですね、

質問をもらうんです。

「この不安をどうにかしたいです!」

「どうやったら恐れがなくなりますか??」

などなどですね~~、主に、不快と感じる感情について。
(そういうのわたしのお得意分野なのでしょうか?笑)



恐れや不安が出くると、

その不快さを感じたくないがために、

人は、何かをやってごまかそうとしたり、

違う思考を持ち出して、その不快さを感じないようにするんですね。

その前に、この不安や恐れの感情がでる仕組みをこっちの記事でチラっと書いてるのでよかったら読んでみてください。
↓↓↓

恐れ(イヤ~、怖~~い)と共に過ごしてみる


過去の記憶が沸いてきたり、過去の記憶をもとに、未来を想定して、自分にとって都合がよくないことと判断されたときに、その不快な感情が上がってきます。
で、その不快さを消すために、さらに、違う思考を持ち出して、それをどうにかしようとします。
そして、その思考がまた違う感情を生み出したりして、
思考の物語にどっぷりとつかってしまい、そこから抜け出せなく感じたりするんです。

思考が永遠と「こうすればこうなる」「こういうときはこうだ!」など、いろんなパターンを考え出すのですが、
そこに自分の求めてる答えがないがために、ずっと苦しさが続くのです。

一時的に和らいだように見えることがあっても、そうやって抑えられた感情は違う形でまた出てきます。


で、じゃあどうやったらこのループから抜け出せるのかというと、

ただただ、そこに出てきた感情を味わってみるのです。じっくり見てみるのです。

最初は、こんなに辛いのはあの人がこんな態度を私にとったからだ…など

なにかしら理由を探すかもしれません。

分析なんぞもしてしまうかもしれません。

いろんな思考が沸き起こってくると思いますが、

それらをいっさい横に置いてみて、

純粋なその感情だけにたどり着くようにします。

恐れや怒りと思っていた感情だとしても、

「恐れ」「怒り」といった名前を外して、

ただただ沸き起こっている感覚だけに寄り添っていきます。



途中で、こんなの耐えられない!と思う感情も沸いてくるかもしれませんが、

それでも、そこに立ち止まって感じてみます。

涙が出る人もいるかもしれません。

発狂しそうで歯を食いしばる人もいるかもしれません。

両方の人もいるかもしれません。

抑圧してればしてる分出てくるものも大きく感じられます。

でも大丈夫です。

ずっと見ていると名もない感覚だけが残ってきます。

とことんその感覚に入っていきます。

ピークに達したら、感覚が怒りや恐れから何か別の感覚に代わっているのに気づけます。

そこにはもう怒りとも、恐れとも、悲しみとも呼べない新しい感覚だけが在ります。

そして、そこにとどまっていると、

徐々にそれがス~~~~~っと消えていく感覚を感じられるようになります。

だんだんと静まっていく様子まで、すべて感じられるようになってきます。

そうなると、

自分が恐れていたものは、

恐れでも不安でもない、

ただの感覚だったということがわかります。

もう、同じ思考が沸き上がっても、その不快な感情が出てこなくなります。




ここで、一つ注意しておきたいのは、

不安な感情が出てこさせないようにするためにこの「感情をしっかり見る」ということをするのではなく、

その不快な感情はあってもぜんぜんいいものなんだと知ることなのです。

不快と思っていたけど、それは単なる一つの感覚であり、

怖いものでも、嫌うものでもなんでもなかったんだとわかることなのです。

すべての感情がただの感覚として沸き上がってきているということがわかると、

それを恐れる必要がなくなります。

出てきてもいいもんなのだ!と思っていれば、暴れることがありません。


暴れたとしても、それを許してるからいいんですよね。



喜怒哀楽が激しい子供などを見て、イライラしたりする場合は、そういった自分の中にある感情を出すことを我慢してるかもしれません。



元々は名もない感覚に人間が後付けで

恐れ

不安

悲しみ

不快感

など名前をつけてるだけで、

どんな感情もあっても良かったのです。

これは良い、これは悪いと判断するとき、

悪いことを消し去ろうと抵抗が起こります。

全部あって良かったんです。

ただありのままの感覚があることが分かることで、

そこにべったりくっついてた思考もゆっくりほどけてきます。


環境や人のせいにしても苦しみから逃れることはできません。


自分だけが、自分を自由にしてあげられるのです。


それは、思考と感覚からの解放です。




ちょいちょい見にきてくださってるみなさま、
ほんとにありがとうございます!!
こんな感じで良ければ、更新を増やそうかと思い始めてる私です。
↓↓↓

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やーやーやー。 12月に入ってもうこんなに日にちがたっていてびっくり! 先月の末に、クリスマスの雰囲気出すために、 アドベントキャンドルなるものを作ってきました~! 私がこんなモノづくりをするなんていうのもキャラじゃないようにも思えるんですが、 キ ...

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やーやーやー。


12月に入ってもうこんなに日にちがたっていてびっくり!


先月の末に、クリスマスの雰囲気出すために、

アドベントキャンドルなるものを作ってきました~!





私がこんなモノづくりをするなんていうのもキャラじゃないようにも思えるんですが、

キャラってなんでしょうね~。笑



人間って、そうやって、物ごころついたころから、

いろ~~んなイメージを自分と思ってる入れ物にペタペタ貼ってるんです。

私ってこうだから~~。

私ってこうなのよね~~。

私はこういうもの~~~。



そうやって色んなラベルを貼って、「私」という何かを作ってきて、

その「私」というものが必死に傷つかないように守ったり、良くしようって生きてるわけなんだけど、


実はそんな「私」っていうのはよくよく見てみると、どこにも居なくて、


最初からそんな「私」なんていなかった。。。


「わたし」というものをただの概念で作りあげていただけ

というのが分かってきます。


私たちがいつも使ってる「私」って、何のことを指してると思いますか??

身体???

思考???

感覚???

どれが自分だと思いますか???



はたまた全部ひっくるめて自分だと思いますか???


こうやって見てみると面白いんです。

私たちみんな、

体は自分の体だと思っているし、

感覚も自分のモノだと思っている。

思考だって、「私」の思考って。

でも、

身体=私

でもないし、

感覚=私

でもないし、

思考=私

でもない。


この3つは常に、

私の思考

私の感覚

私の体というように所有物として扱われている。


じゃあ、じっさいにそれを所有してる「私」ってどこにいるの?????って見てみると、

なんと、どこにも見つからない!笑


どこにも見つからないんだけど、

もう小さなころから、この体、感覚、思考が自分のモノと認識して生きてきたから、

それが定着しすぎて、私以外の何かとして考える余地がないんですね。

人間社会そのものがみんなそうやって生きているので、疑問に思うことすらもない。


ちっちゃい子どもって、名前を呼んでも、自分のこと呼ばれてるって気付いてない時があるでしょ?

「~~ちゃん!あなたのこと呼んでるのよ~!」って言っても、

ん??どれ??あ!!!!これ?これが私ってこと??みたいな。笑



だから、みんな元々は、この体を自分の体なんて思って生きて無かったし、

思考が湧きあがってきても、それが自分の思考だなんて思って無かった。

過去と未来をつなぐ思考なんてものも無かったし、時間という概念もなかった。

原因と結果の中に住んでなかったから、

何か起きても、次の瞬間にはケロっとしてた。


大きくなってくにつれ、

これはこうなのよ、

こうやったらこうなるのよ、

こうやったからこうなったのよー、

何時までに~~しようね~

これは~~って言う名前

ぜ~~~~~~~んぶ、教えられてきたんですね。


自分で何か直接経験しても、

それに説明が加えられて、

「あ~、それは悲しかったわね~~。」

なんて教えてもらったり。

「おおおお!これが悲しいというものなのか!」

と子ども心に思うかどうかは分からないけど、

それは元々は「悲しい」という感情でもなんでもなく、単なる何かの感覚だったわけで。

そうやって、

ただあった感覚、

ただあった思考、

をどんどん自分のモノとして、他のモノから分離させていって「私」ができあがっていったんですね。



だから、「私」って、実際の実体はないんだけど、

人とかかわって生きてく中での便宜上付けられた「後付け」の概念なんですね。




だから、もし、何か思考が湧いてきたり、

感覚が湧いてきたり、

痛みを感じたりしたら、

ただただ、それがあるんだな~~~ってゆる~~っと見てあげてみてください。

誰のものでもない思考と

誰のものでもない感覚。



そうなると、それがあっても

排除しようとか、

どうにかして、気持ちを楽にさせようとか

今じゃないどこかへ向かう必要も自然と無くなってきます。


あ、キャラの話がぶっとびましたが、

私たちは、イメージとかキャラとか何も所有できないんです。

もともと所有する人がそこには居ないので、

もう何でもありなのです。

なんでもありというと、抵抗があるかもしれませんが、

実は「なんでもあり」の起こってる世界が先にあって、

それに後付けで私たちがいつも概念を持って説明を加えてるだけなのです。



だから今日の私と昨日の私、

10年前の私と今の私、

数分前の私の気分と今の私の気分、

ぜ~~~んぶ違って逆に当たり前なのです。

私たちは何か固定されたものではなく、

常に変化するものなのです。


なので、何か固定されてしまっている概念やイメージをつかんで離せないと、

それが苦しみになってしまうのです。


こんなんもありなんやな~~~、

お!今日はこんなんか~~~

みたいに、

出てくる感覚とそのまま一緒に過ごしてあげると少しずつ何かがゆるんでくるかもしれません。



あるがまんまの世界っていうのは、ほんとに何も起きてません。

概念を脇に置いてみたときに浮き上がってくる「そのまんま」にくつろいでみてください。





いつも読んでくださるみなさまありがとうございます。
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