やーやーやー。


鬼長文です!!


ご質問をいただきました❤︎



*************

人と比べて、焦って何とかしなきゃと思う。
これも今の自分を認めれば良いんでしょうか?
何とかしなきゃという気持ちがないと進歩しないんじゃないかと思ってしまいますが、違うんですかね?


************


この質問について一緒に考えていきたいと思います❤︎


言ってること、めちゃめちゃ良く分かります。なんせ、私自身が
「何とかしなきゃという気持ちがないと進歩しないんじゃないかと思ってしまいます」という思いを持っていた張本人ですから!





今の自分を認めればいいか?ということですが、

認める認めないというのは、


認めないといけない何かがあるっていう前提なんですね。



認めないといけない何か

認めないといけない誰か


それはどこにいるんでしょう?

どこにあるんでしょう??

何故認めないといけないと思っているのでしょうか?




認める認めないの前に、

何故認めなければいけないのか?

という問いで自分を見る必要があるんです。



すると、自分では気付いてないことが多いのですが、

「私たちは無価値である」

という思いが人間の中に眠っているんですね。


これは、自分だけがそんな思いがあると言うわけではなく、

人間みながこの思いをどこかしらに持っています。


自我が芽生え始めたころから、

自分は全体から切り離された、
離れてしまった、

という元々は存在してない「罪」を背負い始めるわけなんです。

罪悪感ですね。

(↑もちろんそんなこと気付いていきてる人なんてほとんどいないと思いますから大丈夫です。むしろ気付いてないのが普通です(*´艸`))




これは顕在意識として出てきてる人、出てきてない人、

そんなこと思ったことない!と思う人もいるかもしれませんが、

大なり小なり、みな持っています。


「何かに向かって走っている」という人は、みな持っているということです。

みな、この無価値感を払拭するために、
次の瞬間に何かを求めているんです。




自分は無価値である




無価値であると思ってるからこそ、

この世界で、価値があることを見つけて、

それを自分の価値に置き換えようとするわけです。



何かを手に入れたり、
達成したりすると、


その無価値・不足感が一瞬ふっと緩む時があるんです。


全体から切り離されたと思っていた自分が一体性を感じられる瞬間。



「あーー!!良かったー!!」という気持ちと共に、緊張していた体が緩み、
安心感であったり、
自由な気持ちであったり、
縛られているものからふと解放された気持ちになるんですね。


買い物、
美味しいものを食べたとき、
旅行に行ったときとか感じますよね!
あの時の感覚です。


人は、その解放感を得たいがために常に自分を駆り立てて動くようになるんです。



けど、

その解放感は、ほんのわずかです。
長く続くものではありません。


なので、その気持ちが冷めてしまったら、
また次の目標や目的に向かって走り始めます。


また次の「その気持ち」を味わうために。



げど、人が本当に望んでいるのは、




買い物や、達成で得られる喜びではなく、


不満足や、不足、無価値な自分の終わりです。



なぜなら、

それが終われば、

達成するものも、
特別な喜びも必要なくなり、
永遠に苦しみから解放されるからです。



そんなの、面白くない。
という気持ちが出てきますか??

面白くないと思っているから、

人は喜びと悲しみ
怒りと平安
安定と不安定


という2元性の中で、その遊びを楽しむんですね。


だから、

喜びが欲しければ、悲しみも必ずついてくるんです。

快があれば不快があるんです。



対局するものが必ずあるので、

どちらか一方だけ

喜び、安心、平和の世界で生きるということは、

2元の世界観をベースに成り立っているこの地球では無理な話なのです。



話が逸れましたが、そんな感じで、


人が真に望んでいるのはその苦しみから解放、無価値感の終わりなんですね。



だから、

進歩を望むと、

平安は手に入らないのです。

今と違うことを望むと、

必ず苦しみもついてくるのです。


ここに人間のジレンマが出てきます。


進歩はしたいけど、

平安も欲しいというのは

無理なのです。

進歩には衰退がつきものだからです。

達成には未達成がつきものだからです。

良い方向を作り出せば、必ず悪い方向がついてくるからです。

そういった2元性での自分が必要と思っているものを

全てを手放したときに、

今あるがままの完璧な平安が


ボンっ!!!!

と浮かび上がってきます。




もっとお金を手に入れたらその気持ちがより長く続くのではないか
もっと有名になったら、その素敵な気分が味わえるのではないか
他人より優れた箇所があり、自信が持てたらいんじゃないか??
あったかい家族を持ったら今のこの窮屈に感じる気持ちが消えるんじゃないか?



そこには何もありません。



手に入れるまでの苦しみはあります。



あらゆることを試して、

その無価値感や苦しみを消そうと努力するわけです。

または、無価値感が消える瞬間を味わおうとがんばるのです。



何かしなきゃいけない
努力して良くならなければいけない
他人より優れるまでとはいかなくても
他人と同等のレベルで迷惑かけないようにしなくちゃいけない
何か今よりいい状態にしなきゃいけない


常に常にその無価値を消すために動いているんです。


質問に戻って、

「何かしないと進歩しないんじゃないか」という気持ちも、


この無価値からくるもんなんですね。


もし、

価値があるのであれば

進歩も必要ないし、

どうにかしなきゃいけないことも何も無くなるんです。



だから、「自分は価値がある」と思うことは恐怖なんてねすね。


価値があると思うと、


進歩しなくなる
何もしなくなる
良くならなくなる
今、この場が完璧であるということを認めなきゃいけなくなる




こんな思いが湧いてくるわけです。


けど、実際はどうでしょうか??


そんな思いとは関係なく、

起こることはただ起こり続けて、

シンプルな現実は、すでに全て動いているのです。


思いとは関係なく、

人に会うことは起こるし、
連絡がくることも起こるし、
仕事に行くことは起こるし、
寝ることは起こるし、
起きることは起こるし、



全ては自分の「思い」や「概念」とは無関係に起こり続けているのです。 



思いがあろうとなかろうと、
概念をくっつけてそれを見ようと見まいと、

「私たちは生かされている」ということです。


全てが完璧に起こっていて、
全てが奇跡です。


ただ単に起こってることに、

見事なまでに私たちはストーリーを作り上げ、

そのストーリーの中で生きているのです。





その幻想の「良くならなきゃいけない私」という思いを手放そうとするとき、


そんなの嫌!!
私はこんなので満足してない!!
こんなのを一生続けるつもりはない!!


って、めっちゃ出てきます。

けど、ほんとに望むのは、

その気持ちの「終わり」なんです。

その窮屈な思いを握りしめている「わたし」の終わりなんです。


その気持ちが終われば、

進歩しようとする自分、
そうはならない自分とのギャップに苦しむ自分が終わるのです。


だから、

何かをしようとしたときに出てくる衝動、

体の緊張

これをしないと私はダメなんだ!

という掴んで、実行して、達成したくなる衝動が、


果たして、ほんとに自分が望んでいるものなのかどうかを見るのです。


自分が望んでいるのは、

その衝動や緊張、無価値の終わりだということに気づくと思います。

すると、あとは、それを手放すだけです。


掴まず、何かやろうとせず、

そのまま湧いてくるエネルギーをただただ感じるのです。



すると、手放すと失う…と思ってたものは、

最初から何も存在していなかった。


何も失うものもなければ、

得る必要もない、

ただただ、今の完璧に起こってる世界に身を委ねることが起きるようになります。




これは、あくまで、非二元で生きるという世界観に基づいてお話をしているので、

いっぱい苦しみも楽しみも、平和も荒波もぜーーーんぶ味わって、生きたいという方はもちろん今のまま、思い切り楽しんでいってくださいね!


この世界はそうなるようになってるから。




どっちの世界でも生きていけます。生かされています。

どっちがいいも、どっちが悪いもありません。

どちらもすべて等しく起こるがままに許されています。



 頭の中で壮大なストーリーが創られていようと、作られていまいが、
全てはそれを無視して完璧に起こっているというのも事実ですから(*´艸`)

そういう意味で、すべてが奇跡としかいいようがありません。



結論としては、

何かを達成しようとすると、
必ず、「達成していないとき」があるので、その不快感をどうにかするということは、達成することでしか消しされないということです。

それをやり続けるのか、

はたまた達成するもの自体を手放して、

今に落ち着くか。

どちらかということですね!


そこで、達成しなかったら、また進歩しないという思いが出ると思いますが、

これは堂々巡りです。


これこそが思考のワナです。


永遠に問題が解決できないのは、

現実ではなく、

幻想の中で解決がなされようとしてるからです。


幻想の中では、

何億というか無限の答えが作り上げられるから、答えが見つからない。

どんなことでも答えになりえるし、どんなものも不正解に感じてしまう。


その答えが間違っていたら、自分の責任になってしまう。。。というこれまた
幻想の罪悪感を抱いているからなんですね。


ワナも自分で作ってるだけなのですが、

ほんと面白いですね。



そんな幻想の思いをいったんすべて脇において、

今目の前で起こってる事実を見てみてください。

な~~~~んにも心配するようなことは何一つ起こってませんから!(*´▽`*)




何か、少しでも参考になればと思います❤︎





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