やーやーやー。


エゴって、一般的にはあまり良くないイメージがあるようです。

な~んて言いながら、

わたしも、実際ちょっと前までは

エゴというものを超悪者にして、

このエゴを何とかしなきゃ~~~!!!!!!!

みたいに躍起になってたときもあるんですね!


エゴがあるから苦しい!面倒!

エゴに惑わされてはダメとか、

エゴが消滅したら、楽になる!

このエゴに巻き込まれないように、自分の中心にいつづけなきゃ!とかね!笑


確かに、エゴ(一般的には自我だったり、思考と表現されてます)に振り回されているように感じてるときは、
すごくエゴが邪魔に感じたりしてました。



けど、エゴそのものはまったくなんでもなかったんです。



ただ、そのエゴをどうにかしようとしたり、
掴んで、ストーリーの中に入り込んでいくと、
「エゴ」がすごく悪者のように感じてしまうんです。


実はエゴは、ただエゴとして、そのままいるだけなんです。



エゴには何の意味もないんです。

思考は単なる思考です。 


自分の思考ではありません。


ザ・思考です。


けど、エゴはあたかも、すべてがとてつもなく自分にとって重要なことであるかのようにふるまってきます。

でもほんとはそこに重要性は何もないんですね。

単なる思考です。

実態もなければ、

形もない、

色もなければ、

見ることもできない、

味もないし、

触ることもできない。

でも、私たちはその実態がないものにすごく重要性を感じてしまって、

思考があれこれ言うことをいちいち信じて、感じ取って、言う通りにしてしまうんですね。


けど、実際に現実に起こってることは、

思考はまったく関係ないんです。

思考とは関係なしに、すべて起こってるんです。

その起こってることについて、

あーでもない、こーでもないって単にエゴがお話してるだけなんですね。


何かをしているときに

エゴはあれこれ話かけてきます。

次はなに?次は?次は??

あれはどうだった??
これは??


常に常に、今起こってないことについて、あれこれ議論してきます。

そうじゃないとエゴは生きれないですからね。


それを単に放っておくと、

体の感覚だけが残ってくるんです。

するとね、

その感覚が「居心地悪い!」って感じたら、

またエゴちゃんは、次の瞬間に何か心地良く感じることを探し始めるんですね。

逆に、

すごく気持ちよかったり、心地よかったりすると、

「この状態でずっといたい!このままでいたい!」

ってまた現状を維持しようとする動きが出てくるんですね。


その動きすべてが、エゴちゃんなんですね。


抵抗ちゃんとも言おうかしら。


だから、いつも何かしらの居心地の悪さを感じたり、落ち着かない感じがしたりするんですね。

常に今起きてること以外のことをエゴは求め続けてるんです。





どんな感覚もどんな思考も起こるがままに起こさせて、

自分は、その感覚でも、思考でもどれでもなく、

それに同化してないとき、

今までになかった体験の扉が開き始めます。

(それは素晴らしいものに違いない!とか、マインドが言ってくると思いますが、無視してくださいね!それに捕まるとまた、それを追っちゃいますから!)



かといって、

「よし!起こるがままにさせとけばいいんだな!」といって、それをしようとすると、

またそれが動きになってしまって、

結局、エゴの落ち着きのなさに振り回されてるーー!!みないになっちゃって、



どーしょーもないですやーーーん!!

ってお手上げ状態になったりするんですが、


実はそのお手上げ状態で、後は放っておくってのが、


全てに抵抗せずに受け入れてくってことになったりしてたりするんですね!


エゴちゃんもそのままスゴスゴとどこかに消えちゃってます。



全ての動きに気づいているだけで、

今起きているそのものの中に溶け込んでいく感覚になってきます。


分離の感覚が消えていくんですね。


分離の感覚というのは、

自分と不快な何か

自分と心地いい何か、 

自分と物、

自分と世界、

自分と相手、

自分と善

自分と悪

自分と幸せ

自分と不幸せ

のように、

自分と何かを隔てているものの境界があるという感覚です。


その分離感が薄れ

一体性を感じられるとき、

人や自分がどんな状況であれ、

そこに自由を感じます。




何かに没頭してるとき、夢中になっているとき(何か趣味のことをしてるとき、スポーツをしてるとき、
映画など見てるとき)などは、

この一体性の中に溶け込んでいることが多いのです。

作業に夢中のときには、

「我」も「時間」もなく、

「苦しい」も「大変だ!」も「これは素晴らしい」「作業と自分」

などといった、そういう隔たりもなく、

ただ一体性として、何かが起こっているんですね。


映画見てるときも、

「今、映画私が見てるでーーー!今、わたしが見てるんやでーーー!!」って、
2時間それを意識し続けながら見てる人なんて1人もいませんよね!笑


CMとか入って初めて、

ハッと自分が見てるという事思い出しますよね!(思い出すというより、気付く)


夢中のときって、

正に今それそのものと一体化してるので、

エゴちゃんの入る余地がないんです。


エゴちゃんが入るときは必ずその時の状況と何かしら別のことを比較するとき

つまり、過去を何かしら見てるときだけなのです。



で、「夢中」が終わるとすぐに自分が戻ってきたように感じて、


「あっという間だった!」
「私がいいものを作れた」
「あれはあかんかった!」
「もっとこうだと良かった!」

なーんてまた分離感が出てきて、エゴの感想大会が始まるんですね。


分離感が薄くなってくると、

その一体性の感覚が


何もしてないとき、
今まではつまらないと思考がレッテルを張っていたようなことにまで


徐々に浸透してくるといった感じです。



で、その分離感はどうやったら薄くなるのかというと、


思い込みを手放したり、
こうでなければいけない自分を手放したり、という作業をしていくわけなんですが、


実は、この一体性を感じるとき、


思い込みや、こうでなければいけない自分は一度も存在したことなかったという真逆の真実も自然に明らかになっていくんですね。











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