やーやーやー。



長いですからねー。

トイレに行って、コーヒーでも持ってきて、

気楽に読んでみてくださいねー。



自分を大事にしてあげたり、認めてあげる、、
許してあげたりってどういうことか難しいです…というメッセージをいただくことがあるので、

ちょっと書いてみようかな〜と思います❤︎


これってねー、

私も最初は、自分が生きづらく感じてるのを少しでも和らげようと思って、
自分を許すとか、自分の声を聞いてあげるとかを始めたわけなんですが、

ところがどっこい、

これをやってくうちに、

つまり、自分を許せば許すほどに他人も許していってるってことに気付き、

それが進むにつれて、もうほんとに、周りの人や、状況は何一つ悪いということはなかったということがだんだんと見えてきたんですね。


かといって、自分が悪かったのか?と言ったら、

これまたそうではなく、

どっちも何も良い悪いはなく、

ただただそうであっただけということがわかってきたんですね。


それまでは、ただそうであることに、


それはオッケー、それはダメ、

それならいいけど、それはいかん!

みたいな、

観念によるジャッジがありすぎて、

常に自分にとっての正しさ、正解みたいなものを他の人や周りのことに当てはめようとして、

勝手に苦しくなっちゃってたみたいなんです。


それもそうなんですよね。

元々は、起こることが常に常に先にあって、

後付けの概念でそれを分けようとしていただけで、

起こっていることというのは、そんな概念で収まりきれるものではなかったんですね。

その収まり切れないものを、概念の中に収めようとするから、

無理が出てくる。


ほんで、

違う~~違う~~!違うだろ~~!!!!!

って言って、ワーワー騒ぐんですが、

ちゃいますのよ!!!

違うのは後付けの概念の当てはめが違うんであって、

起こってることは何も問題がなかった!っちゅうことだったんですね!笑

起こってることは無限で、それしかないんです。もともとは、なんの概念も当てはまることのないことが

ただ粛々と起こってるんですね!




話脱線してますが、

自分を許していくというのは最初、わたしは、

やりたくないことをやらない、

やりたいことをやる~~みたいな感じでやってたんですが、

   
自分の中にたくさんのルールや規則を作ってる人はなかなかできないことだったりするんですよね。

けど、

それができない!!

っていうのを縛ってるものは



単なる概念だけ!ってことなんですね。


そうなんです。

自分でも、周りの人でも、なんでもない。概念だけなんです!!!!

そうは言うても、周りの人がいろいろ言うてくるんです~~。っていうのも、

それは、あなたの中にその概念を持ち合わせてるからです。

その観念を持ち合わせているがために、相手の言うことにちくいち反応を起こしているだけなんですね。

その縛ってる観念を持ち合わせてない人は、まったく反応しません。

そして、世界は自分の投影なので、

ルールや制限でガッチガチの人には世の中はそのように厳しいところのように見えますし、

ゆるゆるで何にも考えてない人には、世界もゆるゆるで何にも問題がないように見えるわけです。




やりたいことをやる、

やりたくないことをやらない

って簡単そうに聞こえますが(いや、簡単な人にとっては簡単ですよ( ´͈ ᗨ `͈ )それが当たり前って人もいますから❤︎)

自分に厳しかったり、ルールがたくさんある人はすごくむつかしかったりするんですよね。

私も、それをやるなんて~~~恐れ多いわ~~~!っておどおどしながらも、

自分の中で持っていたたくさんのルールを破り、自分の中でのタブーを犯しつづけて

この2つを日常生活に当てはめてやってたことがありました。


そしたらねー、

だいたいが、

自分で我慢してたり、抑圧してたことが

身近な人が堂々とやってたりして、

それ見て、ムキーーってなってただけで、

なんや、自分もそれやること許してしまえば、

相手はなんも悪いことなんてなかったわ!!

ちゃんちゃん!ってなるわけです。


それが、私の場合、いつのまにか自然に観念の解体という形になってたんだと思います。

で、この観念が解体されればされるほど、

楽ちんになっていったんですね。





ほんでほんで、

解体すればするほど、


良いや悪いの境界線が薄くなり、(境界線なんてものもほんとはどこにも存在しない観念だけの中の幻想です)

こっちでもいい、

あっちでもいい、

どっちでもええや~~~ん!!!!

みたいになって、

どっちでもえや~~ん!

ってことは、

つまり、

こだわりやルールもあってもええや~~~ん!

それに縛られてたとしてもええや~~ん!


って結局元のまんまで何も問題がなかった!!!!!爆

ということに気づくんですね~~~( *´艸`)




そうなってくると、



なんや!全部自分が作り出してただけやん!!


ってとこを感じ始めるわけです。



全部が全部自分。

元々何もないところで、

阿波踊りをしてた自分を見るわけです。


で、


また話、ぶっとんでますが、

自分に掛けてるあらゆる制限を解除して、

概念から解放されていくと、

今まで区切っていたものが、

ん???どうも、どれもつながってるんじゃね? 

ってのが見え始めて、

もう、ほんっとに何が何でって境目が見当たらなくなり始めます。


自分を許すことと他人を許すことに境目がなくなる
自分が楽になると他人も楽になることがわかって、どっちも自分じゃんって思えてくる。
観念を手放す=執着を手放す
執着を手放す=そのままでいいことがわかる
執着を手放す=自分がくっついていた概念から解放される
概念から解放される=そのままで何も問題はない
自分は問題はない=周りも問題がない
問題はない=問題があっても問題がない
問題がない=許さなきゃいけない自分なんてほんとはいない
自分の内側=外側
内側も外側も一緒になってくると、内も外もなくなる

ぜ~~んぶいっしょや~~~~!!!!

最初っからそんな境目どこにもなかったんやんけ~~!


ってな具合でエンドレスに全部つながっていく。


そんな感じで

もうなんでもよいんですわ~~。

つまり、一つのエネルギーが形を変えて、好き勝手に表れてただけ~~~っていうのが浮かび上がってくるわけです。


その元々1つだったものを私たちは、ぶつ切りにぶった切りにぶった切って、

その区別した小さな檻の中に自分たちを閉じ込めて、

あ~でもないこ~でもない劇場を楽しんでたわけなんですね。


すいません。

また長々とわけのわからない話をしておりますが、

要は、

赦さなきゃいけない自分なんてほんとはいないんです。

けど、

もし、苦し~~とか、生きづらい~~って感じてるんだとしたら、

「制限」という檻の中から自分を出してあげることが自分を許すことにつながるのかなって思います。


その制限とは「観念」です。
観念には実態がありません。

その実態のないものにおびえるのではなく、
自分は観念を見ているほうの大きな存在のほうだということを思い出していくことです。




もう、自分を癒すとか、大事にするとか、方法はたくさん世の中に出回っていますが、

最終的にはそれすらも、檻の中でやってたことだったということに気付き、

夢から目覚める人がどんどん増えはじめると思います。


私も、自分がやったという「癒す」方法はなんぼでも書けます。

過去ブログにはずら~~っとやってきたことは書いてます。

けどそれも全部「檻の中」でやってたことだったんですね。

檻の中の状態はめっちゃ良くなってるように見えることはありました。

でも、私たちが本当に望むことは、


「檻なんて元々なかった!」という気付きです。

そのことをこれからはもっと書いていけたらな~~♡って思っています。



結果、

全く質問の答えにならないことをツラツラと書いてしまいましたが、

引き続きよろしくお願いいたします。









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