おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

カテゴリ: 埋められない心の隙間

やーやーやー。 生きていると、 色んな思考が常に湧いてきます。 人間の決めたルールの中で生きていると、 特に善し悪しの判断などはじゃんじゃか出てくると思います。 精神的に弱ってるように感じたり、何か苦しみや不足感を感じて、(喜びを求めてハマるときもありま ...

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やーやーやー。


生きていると、

色んな思考が常に湧いてきます。

人間の決めたルールの中で生きていると、

特に善し悪しの判断などはじゃんじゃか出てくると思います。

精神的に弱ってるように感じたり、何か苦しみや不足感を感じて、(喜びを求めてハマるときもありますが)

心理学であったり、精神論、自己啓発、スピリチュアルなど、

そういった方面に気持ちが向かう時があるんですが、

それらを学んでいるときにですら沢山の、疑問や矛盾が出て来ます。



こっちではこう言うてるのに、こっちではあかんって言うてる。

こっちではこうしたほうがいいって書いてるのに、こっちでは、それじゃ楽になれんって書いてる。

ネガティブがあると、それが現実になるって書いてる~かと思えば、ネガティブさえも包み込めとか書いてあったり。。。。

そうおもって、ネガティブさを受け入れていこうとすると、もうそのネガティブさに向き合うことばっかりで、一向に先が見えなくなったり。

こんな風に思ったらあかん!って言う自分もいるのに、そんなことも思ってる自分にもオッケーを出せって言われたり。

自分を責めてる時に、責めるなって書いてあったり、そう思ったら他の本では責めてる自分もオッケー出せって書いてあって、

結局責めてもいいってこと?責めずに、大丈夫大丈夫と言ってみる。。。とか






どっち!!!!!




ってなることありませんか???

私は多いにありましたけどね。笑



笑えるほど、壁にぶち当たりまくるわけです。

で、

昨日の続きになりますが、

その「私」っていうのは、

その矛盾をど~~~~しても解き明かしたいわけです。

矛盾してることが嫌いなんです。

白黒はっきりさせたいんです。

良い悪いだったら、良いほうを選びたいんです。


わからんことは、なんとしても、知りたいんです。

わかるまで、モヤモヤしてしまうんです。

だから、そのモヤモヤを消そうとまた解決策を探して、永遠に走り続けるのです。





けど、けど、けど、



その人間の作ったルール(概念)の上にその答えはないのです。


どんだけ探しても、その答えはそこにはないのです。


「私」が求めてるものは求められるものじゃなくて、

すでにもうここにあるから、

どうやっても思考や理解の中で探しだすことはできないのです。

だから、

もうすでに出来上がっているものに、後付けで人間がいろんな判断や、言葉、ルール、概念を付け加えてるだけの世界なので、

言葉では表しきれないのです。

言葉で表そうとすると矛盾が出てくるんです。

その言葉とルールと概念の中に全てを当てはめようとするのは無理とあきらめたとき、

本当にただここにある、シンプルな世界が浮かびあがってきます。


その世界は矛盾をも包み込んでいます。

だから、矛盾がなくなるのです。

あの人が言ってることと、この人が言ってることが違ってても全く問題がないのです。

そんな感じでだんだん分け分らなくなってきたと思いますが、

何か壁にぶち当たって、

「わからん~~~~!!!!」


ってことが、起きたら、

その分からんというザワザワする感覚だけを見て見てください。

よ~くよ~~く見てみると、

そこに、分からんわたしなんてどこにもいない。

ただ、ザワザワとする感覚があるだけというのが見えてきます。


その感覚だけを感じていると、

分からんことを分からんままほっとけるようになります。


すると、隠れていた真実が浮き彫りになり、


「ほんまや!どっちでもよかったんや!」

っていうことが、頭ではなく、体感として、バ~~~ン!!!!っと入ってきます。



情報社会の今、何が正解で何が不正解かと全く分からなくなってこんがらがっちゃってきてる人多いと思います。


風邪をひいたら、首にネギ巻くのがいいとか悪いとか、

熱がある時は、風呂入ったほうがいいとか悪いとか、

便秘なのは食物繊維が足りないからだとか。(単に出てないということが起こってるだけですから)

正解を求めても、そこに正解はありません。

だって、もともとは、どっちも起こってるだけで、正解も不正解もないってことですから。笑

起こってることに、正解も不正解も、良いも悪いも元々はないのに、

そこに人間が勝手に良い悪いを付け加えているだけ。

だから、

どっちも間違ってないけど、

「私」はそれをどっちかにしたい、

どっちかハッキリさせたいと望むので、

それが抵抗になって、苦しく感じちゃったりするわけです。



言葉の限界の世界を越えて、なにも分からんでいいんだ~~~ってことにリラックスしていれるようになると、

わからんことが沢山の神秘体験を見せてくれ始めます。

その神秘体験というのも、

今ここで起こってることだけで良かったんやーー!完璧やったんやー!と何かが知ることです。





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やーやーやー。 にほんブログ村 自分のバキバキでガチガチでカッチコチに固まっている価値観や観念 ~したほうがいい ~しなきゃいけない ~するべき 普通は~でしょ こうしなきゃこうなる こうしたらこうなる 方程式に一回一回当てはめて、自分の過去の記憶や経験 ...

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やーやーやー。



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自分のバキバキでガチガチでカッチコチに固まっている価値観や観念

~したほうがいい
~しなきゃいけない
~するべき
普通は~でしょ
こうしなきゃこうなる
こうしたらこうなる


方程式に一回一回当てはめて、自分の過去の記憶や経験から危険・恐怖・不安と判断されたら、


やらない

or

拒絶

or

やっても自分の責任外


のようにしてしまうことがあるんだけど、

この固まっている価値観を溶かしていくと、

ふっと心が軽くなって、実はどこにも何も問題は無かった。。。。

ただ自分がコントをしてただけだった、って気付いて、楽になった感じを実感してる人はきっと増えて来てると思います。(問題へのそういったスピリチュアル的、心理的アプローチはもはやすごい語られてるのでね。)



自分の想定外の価値観を受け入れることで、

固まっている心の重荷が軽くなっていく。

それはとてもステキ。




そして、そのステージが進んで行くと、

今度は、

「自分がいいと思っている価値観」でさえ、どんどん溶かして行く時が来ます。

幸せな経験も含めてです。


一度、古いカチカチの価値観が溶かされて、

「へ~そういう考えもあるんだ~!」
「私もそんなんやっていいんだ~~!」

ってなって、

大きな気付きを得た時、

それがとても大きな快感となることがあります。



なぜポジティブな事まで溶かすの??


ネガティブなら分かるけど。


って、思いますよね。





なぜかと言うと、


私たちは、

物事のポジティブな面を体験すると、


「その状態を維持しなければ。。。。」

「維持したい。また同じ状態になってみたい」

「ずっとその穏やかな状態であり続けたい」

「その状態がいいんだ。。。」

「以前の苦しみよりこっちのほうが断然いいに決まってる!」

と言って、

また自分の中で


新しい価値観



を作り出してしまうからです。





一度、他の価値観を受け入れて、

自分の価値観をニュートラルにしたはずなのに、

気付けば、新しい価値観を作り出して、また苦しんでしまったり。笑



こうやって大きな気付きを得た後に、

自分が大きく感じたり、

自由を感じたり、

心地良さを感じたり、


そして、それを周りに伝えて、

こんなにいいんだよ~~~~!!!ってお知らせするほど幸せな気持ちがしたとしても、

感じて、味わって、おもいきり楽しんだ後は、もう手放しちゃって良いんです。






全ては、流れているので、

どこにもしがみついておく必要はないのです。





どこかにしがみついておこうとすれば、そこに抵抗が生まれます。





そうじゃない事に、不安や恐れを感じるようになります。



だから、


「幸せ~~~~~~!!!!!!!」ってすごい感じても、

それすらも、次の瞬間には手放して良かったみたいです。


そこにとどまろうとすると、

そうじゃない事に、ものすごく怖くなってしまいます。

実際、止まることができないので、恐怖を感じます。



けど、

手放してしまえば、

またどんなことでもオッケー、ゼロの自分になっているから、

そこからまた、

幸せも

喜びも

悲しみも

寂しさも

全て新しい体験としてやってくるわけです。


比べるものが無ければ、

いつでもどんなに小さなことでも、涙がでるほど喜べる時があります。

でもいつも過去の体験、過去の気持ち、価値観や何かにつかまっていると、

どんな体験も、

全て、過去の最高に幸せだった自分より色あせて見えてしまうのです。

あの幸せ以上の経験をストップさせているのも自分ということになってしまいます。


かといって、

じゃあ幸せを感じないようにするのかと言ったら、そうではなく、

その瞬間の幸せをめいいっぱい味わって、味わって、その時のそれを感じる。

そして、それに執着しないということです。


あの時は楽しかったなー、と自然に湧き上がってまた幸せなのに気持ちになる事ももちろんあります。それはまたその時に楽しめるものです。


ただ、

その経験を取り戻そう、維持しようと頑張ったり、

思い出す事で今とのギャップを感じるようであれば、執着になっています。


それに気付いたら、そっと手放してみる。


すると、その次に現れる体験はどんなことでも、新しく、新鮮になるのです。


ということは、

その反対の不幸も同じです。

執着しないことです。(もちろん、執着することすらも許されてるのですが)


幸せも、不幸も、

どっちも味わい尽くしたら、

手放してあげる。


また新しい経験が入るスペースができる。

それが、どんなに昨日と同じ事に見えても、現れることは真っさらな経験に変わる。





これが毎瞬新しい経験、

自分の想像外の事が、私たちの住んでる現実でもたらされる秘訣です。






突然、お久しぶりの言葉もなしに、ブログ書いちゃいました~~!
「お久しぶりです♡」
またボチボチブログ再開しますのでよろしくお願いいたします!
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やーやーやー。


長文の日です。

よろしくお願いしまーーーす!!!



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「幸せ」の定義って、人によって様々。


何を持って幸せとするかはみんな違うのだけども、

何か条件が揃ったら幸せ、

この問題が消えたら幸せ、

と思ってる人は多いと思います。



でも実際は、


⚪︎⚪︎があるから幸せ。

⚪︎⚪︎がないから不幸せ。


っていう風に私たちは作られてないんです。



「ある」



「ない」



楽しい

辛い

悲しい

苦しい

嬉しい

喜び

不安

罪悪感

すらも


ぜーーーーんぶ


ぜーーーーんぶ


ぜーーーーんぶ込み込みで


「幸せ」


と呼ぶのです。



楽しい・嬉しいことが続くことだけが幸せではないのです。



それだけを幸せと呼ぶ時、

その幸せは、つかの間なものであったり、

また一生手の届かないとこに存在し続けます。




罪悪感があったらダメだ

負の感情はダメだ

嫌な事はダメだ


それがあるうちは幸せじゃない…


じゃないんです。


それがある時からもう幸せなのです。


でも、


それらがあると、辛く感じたり

自分の定義した「幸せ」を感じられないから



人は一生懸命自分がダメと思うことを無くそうとしたり、

足りないと思うものを補おうと試行錯誤します。




そして、これが「幸せ」の最大の謎であり、矛盾です。



例えば、罪悪感。


人は罪悪感を感じるのが嫌だから無くそうとします。

でも、ほんとはあるがままでいいんだから、

実は罪悪感がある事もそのままで本当オッケー。

でも、嫌だから無くそうとする…それもそれでオッケー。



・あることも許されてる

・無くそうとすることも許されている


何をしても許されている。


つまり、どっちであっても幸せ。

全てを包括してるのが「幸せ」なのです。



矛盾するのです。


矛盾するから幸せではない

と思い込んでいるのですが、

本当はすでに私たちは、幸せという存在そのものなのです。


幸せ像を、人は、好きなように自分で作り出しているだけなのです。



「幸せ」の代わりに「愛」という人もいます。(こちらの言葉のほうがしっくりくる人いるかもです。私はしっくりこないのですが)


だから、

どこまで行っても、

何をしても、

何を感じても


それ自体が「幸せ」なのです。






どんな感情を抜き取ろうとしても、

どんな感情を排除しようとしても、

真の幸せを感じる事はできない。


それは、「幸せ」は、いつも何らかのプロセスの後にやってくるという思い込みがあるから。


そうではなく、

プロセスの前も、中も、後も

全部含めて幸せなのです。



例え、感情をコントロールして、幸せに感じることができたとしても、それは一時のものであり、

またすぐにその感情はいつでも舞い戻ってくる。


完全に消し去ることのできる感情は何もないのです。



なぜ、消し去ることができないかというと、


どの感情も「ある」事に何も問題はないからです。


どんな感情も、

どんな思考も

それ自体に問題は何もないのです。


自然なことは起こり続けます。


息を勝手に吸って吐いてと繰り返すのと同じように。


元々何も問題が無いものに、

問題を作り出して、

どうこうしようとするのが私たちです。


なので、問題が消えたように見えても、

残るものは相変わらず同じです。


残るものは相変わらず

日々の生活であり、

全ての感情であり、

起こり続ける様々な出来事。






頑張って苦労することで幸せになるとは限らないけど、

頑張って苦労してる時は幸せなのです。




悲しんで、辛い思いをして我慢した先に幸せになれるとは限らないけど、

悲しんで辛い思いをして我慢してる時は幸せなのです。



そんなわけあるかーーーい!!!!



って思うんですけど、

そうなのです。



追い求めるのをやめると、

その矛盾の中に、

身を置くことができます。

矛盾が成立し始めます。



グルグルと「全て許すゲーム」の中に突入します。


居心地が良い時も悪い時も、


「それしかない」のが分かります。




私は、「流れに身を任せてーー」と言ったりしますが、

ほんとのほんとは、流れに逆らっててもオッケーなのです。



ただ、流れに任せると本人の感じ方は変わるかもしれません。

楽に感じられるかもしれません。

居心地がいい時間は長くなるように感じられます。

気づくことから、現実も変わってくように見えます。

辛さや苦しみが減ってるように感じられます。

だから、心理学的な事を書いたりもしますし、

私が楽に感じれた方法なども書いちゃったりもしてます。


でも、


本当の本当は、

自分を責めることも、

罪悪感を感じる事も許されていて、

「感じないようにしたい!」って、責めや罪悪感をとっぱらおうとすることも許されていて、

でも「無くしたいのに無くせない自分」もまた許されていて、


どこまで行ってももう


「許されてる」事しか起こらないのです。




幸せは、こんな具合に大いなる矛盾の中に存在してるのです。


だから、ブログや本で、


心の事を書く人の様々な矛盾を見つけると思います。



じゃー、これはどーなるのよ?!


罪悪感は感じればいいって書いてるのもあれば、

こうすれば罪悪感は取れるってかいてる。



取る必要はないって言ったり、

取れとか手放せとか言ってたり。


どーすりゃーいいのーーーー!!!!

とまた迷子になります。


だから、誰もが必死で見つけ出そうとしてる幸せの答えというのは、

見つけ出そうとすればするほど、分からなくなるのです。




理解できないとこに幸せは存在していて、


でも、もうずーーーっと片時も離れずに私たちがやってる全てが「幸せ」なのです。







今、自分は幸せって感じないのに、

「私は幸せなんだ!」って無理して思い込むっていうことではなく、


思えない自分を分かっている。


今、自分が

何を見て、聞いて、どう感じているか。


それそのものが、幸せであり、

私たちは、

その幸せから何をしても逃れられないようになっているのです。











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やーやーやー。 本日もわけのわからない感じのヤツいくで~~~~。 けど、けっこう沢山の人がこのワナにひっかかってると思うから書くで~~~。 にほんブログ村 私たちはいつも何かに同化して、自分を完全にしようとします。 何かに同化して、自分のアイデンティ ...

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やーやーやー。


本日もわけのわからない感じのヤツいくで~~~~。

けど、けっこう沢山の人がこのワナにひっかかってると思うから書くで~~~。




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私たちはいつも何かに同化して、自分を完全にしようとします。

何かに同化して、自分のアイデンティティーを確立させようとします。



同化しようとするものは沢山あります。



例えば、

子どもを持つ(母親)

彼氏をつくる(恋人)

結婚する(既婚)

起業する(自分の仕事)

資格を持つ

~ができる

優しさや強さ(一般的に良しとされるキャラクターになる)

完璧な仕事

沢山の友達

物・持ち物

学歴

過去の経験

体型

容姿・外見

得意なこと





全てひっくるめて「私」をつくりあげている人もいれば、

どれか特別な事に特化して、

「これがあるから私」としてる人もいるかもしれません。


これらを「私」のよりどころとして生きています。




とにかく、自分自身、何にもない丸裸の単体では常に不安が付きまとうため、

何かにくっついて、同化することで、安心感を得ようとしてしまいます。


丸裸の赤ん坊として産まれた時は、

何一つ持ってなくて、

何にも同化してなくて、

あるがままでオッケーだったはずなんだけど、

成長するにしたがって、

だんだんと、

「今の自分では足りない」

という感覚(錯覚)が芽生えてきます。



自分は不完全という錯覚が起き、

常に、完全で在りたいというこれまた錯覚が起き、

その足りなさ、不足感を埋めるために、周りにあるものに同化して自分を完全にしようとするのです。



自己紹介をする時に、

「それ」がないと、不安になる要素は上の中にありますか????

自己紹介で言わずとも、

相手にこれは知ってほしい。。。。と思うこと。

それを取り上げられると、「自分」としての自信が欠けてしまう気持ちになること。





例えば、

・既婚の私。

・子どもがいる私。

・社長の私。

・資格が沢山ある私。

・ブランドを沢山持ってる私。

・優しさの塊のような私。

・昔、いい学校を出た私。

・ステキな旦那がいる私。

・頭の良い子どもがいる私。

・マンションをもっている私。

・友達が沢山いる私。

・得意なことはこれだ!という強みがある私。



などなど、

「私」は常に、

あるがままの「私」だけで存在してるのではなく、

「~な私」として存在してることが多いのです。


これは、反対の性質でも同じです。


・~を持ってない私。

・ダメな私。

・おっちょこちょいな私。

・短気な私。

・落ち込みやすい私。



それを無くしたら、自分は何かぽっかり穴があくようで、落ち着かなくなるラベルがあれば、

それは、もうそのラベルを自分のアイデンティティーの一つとして、自分と同化しているものです。



そして、そのアイデンティティーだけではまだ足りない。。。。。

もっとたくさん、

もっと、大きく、強くならなければ。。。。。という錯覚が起きるほど、

また外側にあるものに自分を同化させ、自分を安心させようとして、さらなる努力をします。


その物や経験が脅かされると、

まるで自分自身が脅かされている恐怖に襲われることがあります。



これら全部、錯覚です!!!

幻想とも言われます。







例えば、

「自分自身」と「社長」という地位が強く同化している場合、

社長の地位から退くようなことをほのめかされれば、

まるで、自分自身が無くなってしまうような恐怖がやってきます。



「私」が「母親」というラベルに強く同化していると、

良い母親であることが脅かされることがあると(子どもが言う事を聞かない、子どもの相手をしてあげれない)、

自分がとてつもなく、不完全な人間であるという錯覚が起きます。



でも、よくよく考えてみると

同化してる相手(物・経験)は自分自身ではありません。



そのモノや、経験自体が例え無くなったとしても、

自分自身は何一つ損なわれるわけではないのだけども、

同化している時は、まるでそれが無ければ、自分はおしまいだくらいに思ってしまうこともあるようです。

そして、脅かされたアイデンティティーや、

よりどころが無くなってしまったアイデンティティー、

これじゃまだ不安だ!と思ってしまったアイデンティティーは

またすぐに次のよりどころを探し始めます。

これは「あ!これは自我のワナだ!」と気付くまでエンドレスに続きます。




本来は、何にも同化しなくても、そのままで完全であるのが私たちの元々の姿です。



「な~~~にもない私」

「あるがままの私」




母でも、

独身でも、

キャリアウーマンでも、

家を持ってるでもなんでもない、




そういう、ラベルを全て引っぺがした時に、残っている

「存在そのもの」


その存在そのものとして、私たちは、すでに許されてここにいるので

ラベルをありったけ貼って自分をますます大きくしようとしたり、

何かに同化して自分を保とうとする必要すら本当はなかったというわけです。




自分を完全にするために(不安を取り除くために)、何かに同化しようとして、本来しなくてもいい苦労であったり、努力であったりをして苦しむこともよくあります。


そんな時、

本来の自分は、そのままで許されているということを思い出すと、

今からやろうとしてること、

何者かになろうとしてること、

が、本当に自分にとって、必要としてることか否かが見えてきます。


(自分の本当の声とかって言われるやつです)


全てをニュートラルにして、

何もする必要がない自分を思い出した時、

そこから湧き出てくる心の声を聞くと、

それは、激しい努力や無理をせずとも、

そのまま流れとして進んでいくことができます。



全てが上手くいかない。。。。。

思うように進まない。。。。

という時は、

自分を大きくみせようとしたり、

完全になろうとして走ってないかと、

ふと立ち止まってみるのもいいかもしれません。


そして、これ以上、やり方が分からない。。。。

どうすれば分からない。。。。


という時は、


わかろうとしない。

分からなくていいのです。


不安だから、、、と全てを分かろうとするのがこれまた自我の錯覚なのです。

そのワナにひっかかり続ける限り

錯覚の世界から抜けられません。



「分かりたい」という気持ちを手放してみてください。


「全ておまかせ、もうどうにでもしてくれ~~~~~!!!!!」

と心が開いたとき、

全てが自動運転に変わります。







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やーやーやー。 にほんブログ村 私のぶろぐを見ていただいてて、 更には読むだけではなく、 自分に向き合ったりなどを実践して下さってる方は、 毎日やっていると、 あ!こんな気付きがあった! あ~~~!なんか今日はいつもよりスッキリした気持ちになってる~~! ...

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やーやーやー。

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私のぶろぐを見ていただいてて、

更には読むだけではなく、

自分に向き合ったりなどを実践して下さってる方は、

毎日やっていると、

あ!こんな気付きがあった!

あ~~~!なんか今日はいつもよりスッキリした気持ちになってる~~!

とかがあって、

また、

わ~~~!また不安になった~~~!!!!

ってなって、

そんでまた向き合ったら、

またスッキリしてきた~~~!!!

というのを繰り返されてると思います。


そして、気付いたら1カ月前の私、

1年前の私、

と全然違う私が「今」いるということに気づいたりすることもあると思います。


私も、ずっとそれを繰り返しました。





そんでもって、いきなりバ~~~~ンとシフトがありました。

突然です。

今まで

「私が~を感じて~~~」

「私が~って心配して~~~」

「私にそれが起こってるって思ってて~~~」


っていう、

ぜ~~んぶ

「私」「私」と思ってた「私」がごそっと取れちゃう感じです。


そうなった時には、一瞬なんなのか良く分かりませんでした。


やってることはそれまでと何ら変わらないです。

普通に家事、育児をして、

普通に人と接して、

全部何一つ変わらず今まで通りに事は起こっています。


で、何が違うのかというと、

個人的にとらえてる「私」がどこかにすっ飛んじゃった感じなのです。

「私」をどっかに置いてきちゃった感ともいいましょうか。


それに気付いたのは、ふとした時でした。



あれ?あれ?あれ?????

何か考えても、

なんか違うな。。。。


あんなに思考大好きな私なはずなのに。。。。

全然思考が膨らまない。。。。


何が違うんだ???



と思った時に、


あれ!!!!!!!!気にする「私」がいない!!!!!


と気付きました。



普段だったら、

ある出来事が起こったらめっちゃザワザワするであろう「私」が

ザワザワしてないのです。


あれ???なんだこれ??

何も気にしてない???


イヤイヤ、気になることあるやろ。。。。。


と、


老後の事を考えてみました。

全く不安のふの字も上がってこないし、ザワっともしないのです。

というより、老後の未来図が全く分からないのです。


過去の事を考えてみました。

出来事は思い出せるのですが、

ザワっとも、ピリっともしないのです。


またまた来ました


なんじゃこれ~~~~~!!!!!!!!


です。



いや~~~、それおかしいやろ~~~~。


と思った時に


初めて、それが何なのか知りたい!!!という「私」が帰ってきました。


私が、それを知りたい。

それがなんなのかはっきりさせたい。

それは久々に感じた「私」でした。



面白いです。




で、結局それが知りたいと思い、ネットに張り付いたり、本を読んだり。

なんとなく分かったのは、

求める=今の状態じゃ足りない=個人的なエネルギー(自我の意識)

が舞い戻ってきたようです。



ほほ~~~~~~!!!!!


お!?ってことは、他の不安もまた戻ってきたのか???

と思って、色々考えてみましたが、

そこら辺はそのままで、



ただ、それが知りたい、

分からないとモヤモヤする。。。。。


というのだけがしっかりありました。


色々調べた結果、特に私にできる事はないというのがまた分かりましたので、


この体験については、

また起こるように起こさせて放っておこうと思います。

あ、時々、まだ知りたいというのは出てきます。

もちろんまだ個人的にとらえて、

「私が~~」とかあります。


でも、以前とは比べ物にならないくらい大きなシフトだったな~と思うわけです。



で、非二元的に話すと、

「起きる事がただ起きてる」ということなので、

私と同じことをやってるとそうなるかというと、

起きるかもしれないし、起きないかもしれないという身も蓋もない答えになってしまいます。

でも、それが起きないからといって、

何一つ今の日常は変わらないので、

ただ、そんなんもあるんやな~~くらいに聞いといてもらえたら嬉しいです。






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やーやーやー。 もう、毎回、おかしな話をしてるので、 どしたどした???になってるかもしれませんが、 今日もおかしな話いきまーす!!! すんなり入ってこようと、入って来まいと、全く問題ないですし、 すぐに画面閉じても釘付けになっても、何でもオッケーでー ...

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やーやーやー。


もう、毎回、おかしな話をしてるので、
どしたどした???になってるかもしれませんが、


今日もおかしな話いきまーす!!!



すんなり入ってこようと、入って来まいと、全く問題ないですし、

すぐに画面閉じても釘付けになっても、何でもオッケーでーす!!

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以前の私だったら、



おもしろくない

つまらない

と思ってた


何でもない日常が


こんなにも無限の可能性を秘め、

おもしろくもあり、

平安であることを感じ始めたのはつい最近です。


おもしろさ

楽しさ

心地良さ

幸せ

安心


そう言った言葉では表しきれない感覚に包まれてます。





・何となく今、おもしろくないから何かをしようとする。


・現状に満足できないから、何か行動を起こそうとする。


起こした先、

何かを得られた時には必ず


達成感であったり

満足感であったり

喜びがあります。



その一時の「求めてた結果」で得られる高揚感のようなものを求めて、

日々、

そのためにはどうやったら達成できるかとか、

どうやったら今の状態から少しでも良い状態になれるか…とか、

そんなことばっかり考えてました。


そして、例え努力や試行錯誤の上に、

一時の楽しさや興奮、高揚感、安心を感じることができたとしても、

すぐに消えて無くなる泡のように、

全ての気持ちはあっという間に消え去り、


また元の

おもしろくない

足りない

もっともっとの状態になっていました。





何をやっても、

何を手にしても

また元のとこに逆戻り。


引き寄せ、心、アファメーション、

ドキドキに従おうとも、

つかの間の幸せを感じることと引き換えのようにまた虚しさが戻ってくるのです。

その虚しさを感じたくないが為に、

またすぐ次の「何か」を探す。


何回やっても同じ事を繰り返してると気付いたのは


あらゆる事を試した後です。


達成したと思った次の瞬間にすでに違う事を求めている。

いったいいつになったら満足するのだろう…


例え、

思い描いていた人生がすぐに手に入ろうとも、

決して満足することは無いんだな、とある日思ったのです。






その後ふと、満足しない理由がすぐに分かる時が来ました。



私は「今」じゃない、別のどこかにいたから

ずっと自分は何かが不足してると思ってたようです。



求めていたものは「先」でも「未来」でもなく、

全て「今」すでにある。


この事に気付くために、

長年右往左往したのももちろんすぐに分かりました。


「今ない何か」事を求める事が、

私にとっての

「不足感」を常に生み出していたのです。




今ない何かを求めてたことで、

常に今の自分、今の状態、今の状況ではダメだという事を

無意識のうちに刷り込んでいたのです。


そして、

素敵な未来を期待してたと同時に、

その期待は自分の想像(経験)の範囲内だけで限定されることのみで行われるため、

それ以上の事を創造する隙を与えなかったのです。





求める事が悪いわけでは決してありません。

ただ、私の場合は、

この求める事が目の前にあるものを全て曇らせ、

今ここにあるものを何も見れずにずっと生きてたのようなのです。





何を求めても、

何が達成されても、

一時の事と分かった時に、

次の扉が開きました。




全てを手に入れる扉です。





それが「今」にいる事でした。



起こること以外何もない世界は

絶対的な安心感の中いる感じです。


恐れや不安もありません。


ただ、流れに身を置けるのです。


何もなかろうと、


激しく何かあろうとも


同じです。


表面上では、

全てやっています。



喜怒哀楽もあるし、

感情もバンバン出るし、

普通に生きてて、

普通に何でも起こります。


昨日の記事のように、

嘆かわしいドロドロ劇場も起きます。



けど、

それに振り回される「主体」がいないのです。


つまり

「私」がいないのです。




ちょっと、不思議な話になりますが、

これは非二元とも言われているようです。


私も、何で、自分がそうなっちゃったのかよく分からないですが、

今は、二元の世界と非二元の世界を行ったり来たりしてる感じです。


行ったり来たりできるものじゃないんだろうと思うのですが、

表現が難しすぎて、

こうしか書けないのですが…



私はこれが非二元だという自覚も全然なかったのですが、

「今」起きてることに抵抗なしに、

あるがままの状態であることが、

そうらしいのです。


「起きてることが全て」

ただそれだけの世界です。



そして、それは、

全ての人に起こっていて、

何一つ特別なことはない日常です。


特別じゃない、

何もないけど、

全部ある。




またそんな事も、気が向いたら書こうと思います。





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やーやーやー。 にほんブログ村 「思考」と「今」と「外」というキーワードでここ数日書いております。 ここ数日、思考の事を書いていたら、 コメントやメッセージで、 『いらん事を考えるのをやめて、目の前の事に集中していたら、 「大丈夫なんだー」と思える ...

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やーやーやー。


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「思考」と「今」と「外」というキーワードでここ数日書いております。


ここ数日、思考の事を書いていたら、

コメントやメッセージで、



『いらん事を考えるのをやめて、目の前の事に集中していたら、

「大丈夫なんだー」と思えるようになりましたー!』

とか、

『流れに沿っていくと、

大変な状況すらも「大変」「大変」にならず、

今はそういう時なんだなーって思えます。』

などの声をいただきました。




ニセモノの思考が出てきた時に、

応戦するとどんどんハマります。




応戦すればするほど

ニセモノの思考=自分自身の声


と勘違いしてしまいます。







思考が湧いた時に、

そうなんだね…という客観的なスタンスで眺めていると、

思考は必ずそこで止まります。


ニセモノの思考を野放しにして、私たちをコントロールしようとすることを意識的にやめさせます。




あまりにうるさい時は、


ええええええい!!


シャラーーーーーーップ!!!!!!ボケ~~~!!!





です。


静かになりましたでしょうか??




いらぬ思考を特にしなくとも、

いつもと変わらない日常を送れることに気がつくと、

自分はニセモノの思考で頭の中を占領されていたことに気付きます。



目の前に起こることは、

思考しようがしまいが変わらず起こっているということか分かり始めます。


何も自分でコントロールしていないんだなということが見えてきます。



それしか起きない…んだな…となんとなく分かるかもしれません。




そうなると、ニセモノの思考がますます、意味のないものに思えるので、

ますます自分の思考を客観的に見れるようになります。




ふむふむ。


へーーー!!


そんな風に思ってるのかーーー!!


なんでやねん!!


で??


どうして欲しいわけ??



こうなると、


エゴと自分は同化してないので、

どんどん余計な思考を意識的に止められるようになります。



何回も何回も性質の悪い思考が浮かび上がってくれば、

自分が何に対して強く恐れを持っているのかも見えてきます。


そこにはびこってるニセモノの思考の正体をじっくり見て、


思い込みや価値観を解体して、

自由にしてあげます。


(自由にさせてあげる方法は心のお片づけや、メルマガで「自分の感情に向き合う」などで書いてます。)


最初は


あまりに自分の思い込みが多すぎて、

解体作業が苦痛に感じられるかもしれませんが大丈夫です。


これも、コツコツ一つずつやっていると、

いつのまにか、

「あれ??私、あんなに気にしてた事が今は気になってない!!」

とか、

「そういえば、最近イライラする時間が少なくなってるかも!」

と、感じられるようになります。


自分にとっての不要な思い込みが外れれば外れるほど、


ますます「今」に帰ってこれるようになります。



どんどん、周りが整い、いつも安心して身を任せてられるようになってきます。



そうなると、

不安や恐れからくる

「あれが欲しい、これが欲しい」

「それがあったら幸せなのに」

「こんな風な自分だったらもっと好きになれるのに」

という偽りの欲望が抜けていき、


夢から覚めたように、


何も変える必要もなく、


外側の物(物、外見、パートナー、子ども、お金、仕事、地位、名声)

が必要だったのでもなく、


そのままの自分で良かったということに気付きます。




このブログを読んで下さるみなさまも、

いつも、

どんな時にも、

そのままで完璧です。


ニセモノの思考を外すだけで、見えてくる真実です。





これ以外にない。

これ以外になりようがない。


起こってる事が全てです。








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やーやーやー。 今日も分かりそうでよく分からない記事を書いていきまーす!! にほんブログ村 ニセモノの思考=エゴ に左右されない自分になるには 「今」を生きる事が大切 と書きました。 エゴの特徴は、 ・焦り、苛立ち、嫌悪感、倦怠感、不安、心配、恐 ...

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やーやーやー。



今日も分かりそうでよく分からない記事を書いていきまーす!!


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ニセモノの思考=エゴ

に左右されない自分になるには

「今」を生きる事が大切

と書きました。


エゴの特徴は、

・焦り、苛立ち、嫌悪感、倦怠感、不安、心配、恐怖、寂しさなどを引き起こす

・その感情を食い物にして生きていて、止めないかぎりどこまでも膨らんでいく。

・事実を歪めてみせる

・全て自分の過去の経験からのみ出来上がってる記憶


でしたね。




ニセモノの思考=エゴが存在できるのは、

いつも過去と未来の時間軸にある思考の中です。



思考して、

不快な気持ちになったとき、

その思考を観察してみてください。





その思考が、

「今」の事ではなく、

必ず過去か未来の事について思考してることがわかると思います。




簡単なものとして私の例を書いてみます!!!

しょーもなさすぎますが、

これでも私はかなり長い年月、

このエゴの呪いにかかっているのです。



それではkaitekiの夕飯の呪縛ワールドをどうぞ。




「わーー!今日の夕飯どーしよー。

また外食したいわー。

でも、こんなに外食ばかりしてて、

母としてどうなんか!!!

旦那も何も言わんけどほんまはなんて思ってるんだろー。」



まず、外食ばかりするのはダメだと思ってる自分。


この価値観は私の「過去」の経験から作られたものです。


・「外食は好きなものしか食べないから栄養が偏る」

・「外食は高カロリーだから太りやすい」

・「母親は毎日家でみんなのために晩御飯を作るもの」

・「作れば済むものを、作らないと余分な出費になる」

・「外食はどうしても家で作れない時の最終手段」

・「何か特別な時の楽しみにとっておくもの」


などなど、出てくる出てくる。



そして、それは、私の育った環境、テレビなどで得た知識などで作られた単なる記憶です。

記憶がそのまま思い込みになっているのです。

思い込みになると、

「世の中の人みんながそう思ってる…」と思い始めるので怖いですねーーーー。


また、そういう思い込みがあると、
ますますその観念を強める情報ばかりを無意識のうちに集め始めます。


そして、またガッカリするのです。

やっぱりそうなんだ…と。




「外食が当たり前」の家庭、

「好きなものだけを食べてれば元気に生きれる!」

という価値観で生きてる人には存在しない思い込みなのです。

毎日外食!!!と堂々と言える人もいますよね。



なので、外食に対する観念は、私だけが私の頭の中で勝手に握りしめてる思い込みなのです。





思い込みは全て、過去の経験からでしたね。

この時点で、外食の事を考えると同時に私は過去の経験の中にワープしてしまうのです。



「今」から外れます。


エゴも喜んでます。

引っかかったな…kaiteki…ヒッヒッヒ…と。





そして、次は未来。



「旦那になんて思われるやろー」

という気持ちの中には、

まだ起こってもない未来に対する不安が生まれています。




未来というのは、自分の経験した事の範囲内でしか想像することができません。



経験したことない事は想像も予測もできないのです。






私の場合、

外食をするとき、旦那に

「今日も行く?」とか

「今日は何食べる?」

と言われる事があります。

旦那から言ってくれることが多いにもかかわらず、

そして、

ただそう聞かれただけなのに

罪悪感を感じるのです。




そうです。

過去の記憶を元に私は罪を作り出しているのです。


過去の経験に基づく価値観に自分が逆らっている時、罪の意識を感じます。


もし自分の中に罪悪感がなければ、

「そうなのー!今日も行こうーー!!よろしくーー!」で終わらせられるはずが、

罪悪感がある私は相手の言葉を勝手に

「また今日も外食?家で作らないの?ダメやなーー。

とか、


「今日何食べる?毎日外食って…今日は栄養があるもの食べないかんのんじゃない?

と勝手に脳内で言葉に付け足しをして、

事実を歪めて受け取ってしまうのです。




またそう言われるんじゃないか!!


言われたらどうしよう!!!


何思われるやろーかーーーーー!!!!




と、言われてもない事に対して不安を抱き始めるのです。

過去に基づいた経験によって未来を勝手に予測。

そして、1人で勝手にモヤモヤモードに突入するわけです。


外食をする

という単なる事実を

ここまで見事に歪めて捉えてるのです。


そのまま受け取れないのです。






言われたら言われた時に感じたことを感じればいいのです。

まだ言われてもないことに、「今」感じる必要はないのです。



そのまま受け取れば、

とても素晴らしい経験だろうはずの事を、

実に勝手なイメージをせっせと植え付けて過ごしているのです。


私たちは、こうやって日々、

過去の記憶と未来の予測を勝手に頭の中で繰り広げ、

「今」目の前に起きてる事をありのまま見ることができなくなっています。


むしろ、その過去と未来という

今目の前に起きてないことを頭の中でイメージして生きてると言っても過言じゃないかもしれません。




まずは、

どれぼど自分がそういった思い込みの中だけで生きているかということに気付くことです。





気付けば真実が見え始めます。





気付けば目の前に何が起きてるのかがはっきり見え始めます。





目の前に起きてる事が、

過去のイメージが起きてるのか、

未来の予測なのか、

それに気付くと、

「今」この瞬間に戻ってこれます。


そして、ありのままの真っさらな気持ちで受け取る。



新しい経験が自分に舞い込む事がハッキリ分かると思います。



まずは、どれだけ、自分の頭の中が過去と未来にとらわれて生きてるのかを知ってみて下さい。

「今」が全く変わります!!

未来はその「今」が積み重なったものです。

未来が…条件が整ったら幸せになるのではなく、

「今」が整えば、未来はその上にちゃんとやってきます。






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やーやーやー。 にほんブログ村 昨日は変な話ーー!と思われた方も多いかと思います。 正常じゃないようで ある意味、今までの自分の思考のほうが正しく機能してなかったこと(思考に振り回されて生きていた)をしっかり感じた体験でした。 実はこういう事は、私 ...

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やーやーやー。



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昨日は変な話ーー!と思われた方も多いかと思います。



正常じゃないようで

ある意味、今までの自分の思考のほうが正しく機能してなかったこと(思考に振り回されて生きていた)をしっかり感じた体験でした。



実はこういう事は、私も色んなところから聞いていた情報でもありました。




「エゴの考え」とか

「自分の本当の気持ち」とか


聞いた事はありませんか??




こう言った言葉は、今の時代

ごく普通に使われているのですが、

はっきりとした線引きがないために、

何がエゴで、

何が本当の声なのかよく分からずに情報を取り入れてるいう部分もあると思います。



エゴをちょっと調べてみました。




エゴとは、




「偽の自分」

「自分自身に対する(誤った)思い込み」




要するに


自分自身の思考の中にある性質の悪い思い込みです。

(思考の全てが悪い性質ではない事に注意)




それらの思考は、

目の前にあるものを曇らせ、

そのものを本当の姿を見ることをさせません。



物事を歪んで見せます。




分かりやすく「お金」を例にして書いてみますね。




「お金」に対してもエゴの思考はたくさんの人に働いています。





「お金自体」は良いも悪いもなく、

ただの紙切れです。それが真実です。


1000円は1000円ですし、

1万円は1万円。


そこに皆、それぞれ自分の価値を乗っけるわけです。


お金は汗水垂らして稼ぐもの

お金は汚い

お金がないと不幸せ

お金は人を狂わせる




お金はありがたいもの

お金は愛

お金は空気

お金はいつでも入ってくる

お金は無くならない



などなど、挙げるとキリがありませんが、

そういったそういった自分にとって特定の価値を結びつけると、

お金そのものが何かという真実を見失います。


そして、そこに悪い性質を帯びた価値を乗っけると、負の感情が生まれます。




他には人間関係でも、


ある人を見て、

怒りんぼうだ、とか、

この人は気が弱い、

と言ったイメージで人を決めつけてしまうことなどもあります。


いえ、その決めつけ自体には実は特に問題はないのですが、

そこから生まれるジャッジで苦痛が発生します。



本当は、その人自身は良いも悪いも全くなく、

そういう性質を帯びた人」という、

単なるその人の性質が出てるだけなのですが、

その性質に自分の価値観を当てはめ、

良いや悪いと判断してるのです。



そして、悪いと判断した時点で、

その人に会うたびに、

憂鬱な気分になってしまう自分が生まれ、その人に会うこと自体が苦痛になってしまいます。


友達といる時、

特にグループなどでいると、

数人がある人のことを毛嫌いしているのに、

中には全然そんな風に思わない…という風に、気にも留めない人がいませんか??


そして、みんなと意見が違うと、またその人も「変な人」とレッテルを貼られちゃったり。


なので、

一般的には悪いとされるイメージを持つ人でも、

そこにジャッジがなければ、ただの

「そういう人」とその人自身を見ることができるのです。


「へー、そういう人なのねー。ふむふむ。」終わり。です。笑

(エゴが抜けるまでなかなかそうなりませんが。笑)




そんな感じで、

人は自分自身の価値基準(思い込み)によって様々なことを判断します。



その価値基準は、全て自分の過去で作り上げられたものです。



思い込みで作られるエゴの思考

すなわち、物事の事実を歪めて見せる思考を

「ニセモノの思考」とも呼べます。



エゴ=ニセモノの思考



ニセモノの思考は、私たちに負の感情をもたらせます。


嫌悪感、焦燥感、苛立ち、不安、愚痴、不満、恐怖などです。

ニセモノの思考はこれを食い物にして生きてるので、

私たちにとって不都合な思考をさせるのが大好きです。





私たちが悪い性質を帯びた思考をすればするほど、

そこに不安や、恐怖が生まれ、

それがどんどん膨らんでいきます。



ニセモノの思考は、それが好きで好きでたまらないのです。



自分たちの生存をかけて、ますます悪い思考をさせます。


この、ニセモノの思考に自分が乗っ取られると、

不安や恐怖を感じて暮らす時間がより長くなるのです。



でも、大丈夫です。


このニセモノの思考が大嫌いなことがあるのです。


それは、


本物の思考



真実です。





なぜなら、

私たちが自分の本質で動くとき、

負の感情が生まれないので、

エゴは消えてなくなってしまうからです。

また、負の感情が生まれたとしても、ありのままの感情を受け取れるので、

エゴの生き延びようとするエサがすぐに無くなるのです。




消滅させられたくないエゴは


毎日毎日

ニセモノの思考を送り込んでは、

私たちを不安にさせ、

自分たちは生き残ろうとしているのです。







真実

本物の思考(本当の自分の声)



を取り戻すこと…


これが、エゴに支配されない自由な生き方になっていくのです。


では、どうやったら、エゴが居られない状況を作るのか……





それが、



「今」を生きる事なのです。







今日はここまでーーー。





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やーやーやー。 ここで、私の不思議な体験を話します。 アホだと思われるかたは、スルーして下さいね。 もし、私が言ってることに思い当たる節、 信じられないけど、そうかもしれないと思うかたは、 自然に文章が入ってくると思うので、気楽に読んでみてくださいね ...

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やーやーやー。


ここで、私の不思議な体験を話します。


アホだと思われるかたは、スルーして下さいね。



もし、私が言ってることに思い当たる節、

信じられないけど、そうかもしれないと思うかたは、

自然に文章が入ってくると思うので、気楽に読んでみてくださいね。

すんなり入ってこないけど、とにかく読んでくださる方も大歓迎です。


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*******



以前、ある人と話をした時に、

こう言われたことがあるんです。


「今、起きてることが全てなのよ。それ以外はすべて頭の中だけで作られてること。

その頭の中で作られてることに、私たちはいつも左右されて、不安を感じてるの。

自分で思考してると思ってるその思考すら、ほんとは自分が考えてることじゃないのよ。

自分がコントロールしてると思ってるかもしれないけど、ほんとは何一つ私たちがコントロールできるものはないのよ。」



もう、これを聞いた時、



ほんとに、意味分からん~~~~~!!



ってなりました。


いや、思考してることであれやこれや不安になってるのは分かるんだけど、

その思考は自分が思考してないってどういうこっちゃ!

と言う感じでした。




kaiteki・・・「そうなんですかね。。。。。全て自分で考えてると思ってるんですがね。。。。」




彼女・・・「それすらも、自分が考えてることじゃないからね。

じゃあ、自分で考えてるんだったら、全部コントロールできるんじゃない?

止めることだってできるし、良いと思ってる思考だけすればいいわけだし、

なんで『そう思おうとしても思えないんです~~~!』とか『そう考えようとしてるんですけど、それは違うって思っちゃうんです~』ってみんな言うのかしらね。




それはね、

思考は勝手に湧き出てるからなのよ。



1日に思考は何万と浮かび上がってくるの。

上がってきては消え、消えては上がる。


あなたの思考だって「あなたが勝手に自分が思考してると思ってる」だけで、あなたの思考じゃないの。


全体の思考なの。


その勝手に上がってきた思考の断片を掴み取ってみんなそれをどうこうしようとしてるの。




自分の思考だからどうにかしなきゃって思ってない??




『今』ここで起きてることが全てで、それ以外の世界は何も今ここにないのよ。

『悪い』と思ってることさえも、ほんとはただただ『そういうことが起きてる』だけ。


それを勝手に、思考が

「良い」だの「悪い」だのジャッジをしようとしてるだけ。

湧き上がる思考に、あーでもないこーでもないとコントロールしようとするときに苦しみって生まれてると思わない?」





もう、めっちゃスピリチュアルな匂いがプンプン~~~~!!!!!

イヤ、嫌いじゃないけど、

むしろ好きですけど、

ちょっと自分の思考じゃなくてそれは全体の思考っていうのは、

私が読んだスピ系の本にはありませんでしたけど???爆



全体ってなんなのよ???

その全体ってどこにあるんよ???

とかとにかく次々に疑問が湧きあがってきたのですが、

聞いても、聞いてもとにかく分からない。


理解しようとしてるけど、理解できない。



「え??全体??って何???どこにあるんよ?見えるの?感じるの??たどり着くものなの??何なんですのよ???」


そもそも、そこが分からんから、

話が抜け落ちてく。



でも、私が何をしゃべっても、


それ、kaitekiさんの言葉じゃないからね!

とか、

今、この起こってる事だけが全て。


とか、

その思考に意味なんてないからね


それの繰り返し。


私の中で次々に疑問が湧いてくるのに、


それすらも、


「それもkaitekiさんの思いじゃないからね!」


って言われる。



何を思ったとしても、自分の思考じゃないのか・・・・・・・





なんて思ってたら、


話してる途中くらいから、


思考してウダウダやってる自分がアホらしく感じてきたのです。




「自分の思考だと思ってるだけで自分じゃない」




これを聞いた時に、根拠だの理論だのは全く聞いてないので、納得はしなかったものの、


そういうもんなんだ!とただただ受け入れてみることにしたのです。



家で普通に過ごしてると、なんでか知らないけど、彼女の言葉がめっちゃリフレイン。。。。。


これしかない!

これ以外にない!

これの他になりようがない!!!!


なんかするたびにその言葉が思い浮かぶ。



まあ、なんでもいっか。



とりあえず、彼女が言ってたこと試して色んな事に当てはめてみよ~~~!!!


と思っちゃったわけです。





私の頭の中になんか思い浮かんだら、

「自分じゃないのね~~~」


って、サラッと流す。



また違う思考が湧きあがったら、



「またそんなこと言ってさ~~。ほんま誰やねん、そんなこと考えるの」

って、ツッコミ入れたり…

またなんか浮かんで来たら、

「またそれかー!ひつこいわ!さっき流したやんか!」


という、一見アホくさく思えることをしばらくやってたんです。




そしたらですね。


おもしろいことが起こったんです。





どういうことかと言うと、


私の思考じゃないと思ったら全てが楽!!!!



なのです!!!


なんなのこれ????


そうこうするうちに、


「どうせ自分の思考じゃない」



と思えばすぐに思考が止まるので、

結局目の前のことに集中する羽目になったのです。






そして、彼女の言ってた

「今この瞬間に起こることが全て。それ以外にはない!!!!」




と言った言葉が、段々と、体感として分かりはじめてきました。




どんなに考えても、

どんなに思考錯誤しようと

それは全部頭の中の世界だけであって、

本当に「ある」ことは、目の前で起こってること。

目の前で「今」起こってることだけだということ。



その瞬間には、


ただそれだけ、

その瞬間にあること、

見える、

聞こえる、

感じることが全てになったのです。




そして、その「瞬間」に次から次へと入りこむようになると、

面白いくらい次やることが、明白に見えるのです。



見えるとも言えるし、現れるとも言えるし。



次に何が現れるのか色んな事が教えてくれるのです。

目に見えて入ってきたり、

突然電話が鳴って教えてくれたり、

人がラインで勝手に教えてくれたり、

私の中から聞こえる気もするし。



そして、その瞬間に起こることを、

その瞬間にキャッチして連続してやっていると、

おもしろいくらい、


苦痛、悩み、不安、苦労、大変、心配、不足


全てから解放されてる自分がいることに気付いたのです。




そして、気付くと同時に、




あああああああああ。






私は今の今までず~~~~~っと、


「今」を生きているようで、

ず~~~~っと、過去と、未来のただの頭のイメージの中で生きてたんだな
と思いました。


こんなにも、ただの推測、憶測、予想、妄想、幻想、



それらがもたらす


不安、心配、焦り、執着、苛立ち、罪悪感の中に、


自ら身を置いていたんだということが分かったのです。


と同時に、



過去にも未来にも縛られることのない「今」というのは、

こんなにも言いようがないほど満たされて、

全てが整っていて、

勝手に起きてくれて、

自分の本当の声がこんなにもハッキリ分かるものなんだ!!!


と感じたのです。



全てが「良い」とか「悪い」とかなくて、

全てがただそこにあって、

全てがずっと自分が持ってたという思いが湧き上がり、


その瞬間に

心のどこかにあった隙間が、

驚くほどジワ~~~っとパンパンに膨れ上がっていったのです。






そこに、何の不安もありませんでした。


解放とはこういうことなのか?

それは良くわからないけど、

とにかく、今までに感じたことのない気持ちでした。



私にとっては、なんて事のない、ただ家に居て、いつもと変わらない日常にいただけです。


その日常で

気付いたら「今」を生きていて、

どこにもブレずにこの瞬間に立ち会うことが、

自分を満たすことなんだと分かったのです。



その後は、


もう、ただただ、不思議な事の連続でした。


私の中では、絶対ないだろうと思い込んでたことが徐々に起き始めました。



引き寄せられたかのように我が家に一冊の本も届きました。

その本は自分で注文したのですが、

注文した時には、まったく違う内容を予想して買ったんです。

でも、その本には、

おもしろいくらいに、私が感じた「今」について説明が書かれていました。

不思議すぎて、興奮しました。




昔の私だったら、

こんなこと書いたら何て思われるのかが気になって書かなかっただろうけど、

この事も、

自然に書くことになってました。


「今」を生きるなんて、

それこそ、ありふれた題名になってるかのように、

あまりに普通の言葉になりすぎて、

そのことの真の意味を分からず生きていたと思います。


あのhappyちゃん

「あなたが良い気分でいること以上に大切なことは何もない」
「夢を見ながら”今”を生き、希望の中で”今”を楽しむ」

と毎日書いてくれている言葉の本当の意味を1年以上も見過ごして生きてた自分がとても可笑しかったです。

そして、私が、「今」を生きることについてブログ記事にした次の日に

happyちゃんが「今の連続」思わされている未来の願いという記事を書いてるのを見た時に、

トリハダが立ちました。


まだまだ想像もつかない不思議な世界が沢山あるようです。



これから先、私の人生で不安になったら、いつでも「今」に帰ってこようと思います。







ほんとに今日はいつもに増して長すぎてごめんなさい。
読んでくださってありがとうございました。
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