おうちのぶろぐ 汚部屋脱出女の快適生活

36歳で汚部屋脱出。捨てるお片づけ、お掃除、いつでも人を呼べる心地いいお部屋作り。心と思考のお片づけもやってます。

カテゴリ: 埋められない心の隙間

やーやーやー。 生きていると、 色んな思考が常に湧いてきます。 人間の決めたルールの中で生きていると、 特に善し悪しの判断などはじゃんじゃか出てくると思います。 精神的に弱ってるように感じたり、何か苦しみや不足感を感じて、(喜びを求めてハマるときもありま ...

続きを読む
やーやーやー。


生きていると、

色んな思考が常に湧いてきます。

人間の決めたルールの中で生きていると、

特に善し悪しの判断などはじゃんじゃか出てくると思います。

精神的に弱ってるように感じたり、何か苦しみや不足感を感じて、(喜びを求めてハマるときもありますが)

心理学であったり、精神論、自己啓発、スピリチュアルなど、

そういった方面に気持ちが向かう時があるんですが、

それらを学んでいるときにですら沢山の、疑問や矛盾が出て来ます。



こっちではこう言うてるのに、こっちではあかんって言うてる。

こっちではこうしたほうがいいって書いてるのに、こっちでは、それじゃ楽になれんって書いてる。

ネガティブがあると、それが現実になるって書いてる~かと思えば、ネガティブさえも包み込めとか書いてあったり。。。。

そうおもって、ネガティブさを受け入れていこうとすると、もうそのネガティブさに向き合うことばっかりで、一向に先が見えなくなったり。

こんな風に思ったらあかん!って言う自分もいるのに、そんなことも思ってる自分にもオッケーを出せって言われたり。

自分を責めてる時に、責めるなって書いてあったり、そう思ったら他の本では責めてる自分もオッケー出せって書いてあって、

結局責めてもいいってこと?責めずに、大丈夫大丈夫と言ってみる。。。とか






どっち!!!!!




ってなることありませんか???

私は多いにありましたけどね。笑



笑えるほど、壁にぶち当たりまくるわけです。

で、

昨日の続きになりますが、

その「私」っていうのは、

その矛盾をど~~~~しても解き明かしたいわけです。

矛盾してることが嫌いなんです。

白黒はっきりさせたいんです。

良い悪いだったら、良いほうを選びたいんです。


わからんことは、なんとしても、知りたいんです。

わかるまで、モヤモヤしてしまうんです。

だから、そのモヤモヤを消そうとまた解決策を探して、永遠に走り続けるのです。





けど、けど、けど、



その人間の作ったルール(概念)の上にその答えはないのです。


どんだけ探しても、その答えはそこにはないのです。


「私」が求めてるものは求められるものじゃなくて、

すでにもうここにあるから、

どうやっても思考や理解の中で探しだすことはできないのです。

だから、

もうすでに出来上がっているものに、後付けで人間がいろんな判断や、言葉、ルール、概念を付け加えてるだけの世界なので、

言葉では表しきれないのです。

言葉で表そうとすると矛盾が出てくるんです。

その言葉とルールと概念の中に全てを当てはめようとするのは無理とあきらめたとき、

本当にただここにある、シンプルな世界が浮かびあがってきます。


その世界は矛盾をも包み込んでいます。

だから、矛盾がなくなるのです。

あの人が言ってることと、この人が言ってることが違ってても全く問題がないのです。

そんな感じでだんだん分け分らなくなってきたと思いますが、

何か壁にぶち当たって、

「わからん~~~~!!!!」


ってことが、起きたら、

その分からんというザワザワする感覚だけを見て見てください。

よ~くよ~~く見てみると、

そこに、分からんわたしなんてどこにもいない。

ただ、ザワザワとする感覚があるだけというのが見えてきます。


その感覚だけを感じていると、

分からんことを分からんままほっとけるようになります。


すると、隠れていた真実が浮き彫りになり、


「ほんまや!どっちでもよかったんや!」

っていうことが、頭ではなく、体感として、バ~~~ン!!!!っと入ってきます。



情報社会の今、何が正解で何が不正解かと全く分からなくなってこんがらがっちゃってきてる人多いと思います。


風邪をひいたら、首にネギ巻くのがいいとか悪いとか、

熱がある時は、風呂入ったほうがいいとか悪いとか、

便秘なのは食物繊維が足りないからだとか。(単に出てないということが起こってるだけですから)

正解を求めても、そこに正解はありません。

だって、もともとは、どっちも起こってるだけで、正解も不正解もないってことですから。笑

起こってることに、正解も不正解も、良いも悪いも元々はないのに、

そこに人間が勝手に良い悪いを付け加えているだけ。

だから、

どっちも間違ってないけど、

「私」はそれをどっちかにしたい、

どっちかハッキリさせたいと望むので、

それが抵抗になって、苦しく感じちゃったりするわけです。



言葉の限界の世界を越えて、なにも分からんでいいんだ~~~ってことにリラックスしていれるようになると、

わからんことが沢山の神秘体験を見せてくれ始めます。

その神秘体験というのも、

今ここで起こってることだけで良かったんやーー!完璧やったんやー!と何かが知ることです。





いつも読んで下さってるみなさまありがとうございます。
↓↓↓
にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村

やーやーやー。 にほんブログ村 自分のバキバキでガチガチでカッチコチに固まっている価値観や観念 ~したほうがいい ~しなきゃいけない ~するべき 普通は~でしょ こうしなきゃこうなる こうしたらこうなる 方程式に一回一回当てはめて、自分の過去の記憶や経験 ...

続きを読む
やーやーやー。



にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村




自分のバキバキでガチガチでカッチコチに固まっている価値観や観念

~したほうがいい
~しなきゃいけない
~するべき
普通は~でしょ
こうしなきゃこうなる
こうしたらこうなる


方程式に一回一回当てはめて、自分の過去の記憶や経験から危険・恐怖・不安と判断されたら、


やらない

or

拒絶

or

やっても自分の責任外


のようにしてしまうことがあるんだけど、

この固まっている価値観を溶かしていくと、

ふっと心が軽くなって、実はどこにも何も問題は無かった。。。。

ただ自分がコントをしてただけだった、って気付いて、楽になった感じを実感してる人はきっと増えて来てると思います。(問題へのそういったスピリチュアル的、心理的アプローチはもはやすごい語られてるのでね。)



自分の想定外の価値観を受け入れることで、

固まっている心の重荷が軽くなっていく。

それはとてもステキ。




そして、そのステージが進んで行くと、

今度は、

「自分がいいと思っている価値観」でさえ、どんどん溶かして行く時が来ます。

幸せな経験も含めてです。


一度、古いカチカチの価値観が溶かされて、

「へ~そういう考えもあるんだ~!」
「私もそんなんやっていいんだ~~!」

ってなって、

大きな気付きを得た時、

それがとても大きな快感となることがあります。



なぜポジティブな事まで溶かすの??


ネガティブなら分かるけど。


って、思いますよね。





なぜかと言うと、


私たちは、

物事のポジティブな面を体験すると、


「その状態を維持しなければ。。。。」

「維持したい。また同じ状態になってみたい」

「ずっとその穏やかな状態であり続けたい」

「その状態がいいんだ。。。」

「以前の苦しみよりこっちのほうが断然いいに決まってる!」

と言って、

また自分の中で


新しい価値観



を作り出してしまうからです。





一度、他の価値観を受け入れて、

自分の価値観をニュートラルにしたはずなのに、

気付けば、新しい価値観を作り出して、また苦しんでしまったり。笑



こうやって大きな気付きを得た後に、

自分が大きく感じたり、

自由を感じたり、

心地良さを感じたり、


そして、それを周りに伝えて、

こんなにいいんだよ~~~~!!!ってお知らせするほど幸せな気持ちがしたとしても、

感じて、味わって、おもいきり楽しんだ後は、もう手放しちゃって良いんです。






全ては、流れているので、

どこにもしがみついておく必要はないのです。





どこかにしがみついておこうとすれば、そこに抵抗が生まれます。





そうじゃない事に、不安や恐れを感じるようになります。



だから、


「幸せ~~~~~~!!!!!!!」ってすごい感じても、

それすらも、次の瞬間には手放して良かったみたいです。


そこにとどまろうとすると、

そうじゃない事に、ものすごく怖くなってしまいます。

実際、止まることができないので、恐怖を感じます。



けど、

手放してしまえば、

またどんなことでもオッケー、ゼロの自分になっているから、

そこからまた、

幸せも

喜びも

悲しみも

寂しさも

全て新しい体験としてやってくるわけです。


比べるものが無ければ、

いつでもどんなに小さなことでも、涙がでるほど喜べる時があります。

でもいつも過去の体験、過去の気持ち、価値観や何かにつかまっていると、

どんな体験も、

全て、過去の最高に幸せだった自分より色あせて見えてしまうのです。

あの幸せ以上の経験をストップさせているのも自分ということになってしまいます。


かといって、

じゃあ幸せを感じないようにするのかと言ったら、そうではなく、

その瞬間の幸せをめいいっぱい味わって、味わって、その時のそれを感じる。

そして、それに執着しないということです。


あの時は楽しかったなー、と自然に湧き上がってまた幸せなのに気持ちになる事ももちろんあります。それはまたその時に楽しめるものです。


ただ、

その経験を取り戻そう、維持しようと頑張ったり、

思い出す事で今とのギャップを感じるようであれば、執着になっています。


それに気付いたら、そっと手放してみる。


すると、その次に現れる体験はどんなことでも、新しく、新鮮になるのです。


ということは、

その反対の不幸も同じです。

執着しないことです。(もちろん、執着することすらも許されてるのですが)


幸せも、不幸も、

どっちも味わい尽くしたら、

手放してあげる。


また新しい経験が入るスペースができる。

それが、どんなに昨日と同じ事に見えても、現れることは真っさらな経験に変わる。





これが毎瞬新しい経験、

自分の想像外の事が、私たちの住んでる現実でもたらされる秘訣です。






突然、お久しぶりの言葉もなしに、ブログ書いちゃいました~~!
「お久しぶりです♡」
またボチボチブログ再開しますのでよろしくお願いいたします!
↓↓↓
にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村

やーやーやー。 長文の日です。 よろしくお願いしまーーーす!!! にほんブログ村 「幸せ」の定義って、人によって様々。 何を持って幸せとするかはみんな違うのだけども、 何か条件が揃ったら幸せ、 この問題が消えたら幸せ、 と思ってる人は多いと思いま ...

続きを読む
やーやーやー。


長文の日です。

よろしくお願いしまーーーす!!!



にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村





「幸せ」の定義って、人によって様々。


何を持って幸せとするかはみんな違うのだけども、

何か条件が揃ったら幸せ、

この問題が消えたら幸せ、

と思ってる人は多いと思います。



でも実際は、


⚪︎⚪︎があるから幸せ。

⚪︎⚪︎がないから不幸せ。


っていう風に私たちは作られてないんです。



「ある」



「ない」



楽しい

辛い

悲しい

苦しい

嬉しい

喜び

不安

罪悪感

すらも


ぜーーーーんぶ


ぜーーーーんぶ


ぜーーーーんぶ込み込みで


「幸せ」


と呼ぶのです。



楽しい・嬉しいことが続くことだけが幸せではないのです。



それだけを幸せと呼ぶ時、

その幸せは、つかの間なものであったり、

また一生手の届かないとこに存在し続けます。




罪悪感があったらダメだ

負の感情はダメだ

嫌な事はダメだ


それがあるうちは幸せじゃない…


じゃないんです。


それがある時からもう幸せなのです。


でも、


それらがあると、辛く感じたり

自分の定義した「幸せ」を感じられないから



人は一生懸命自分がダメと思うことを無くそうとしたり、

足りないと思うものを補おうと試行錯誤します。




そして、これが「幸せ」の最大の謎であり、矛盾です。



例えば、罪悪感。


人は罪悪感を感じるのが嫌だから無くそうとします。

でも、ほんとはあるがままでいいんだから、

実は罪悪感がある事もそのままで本当オッケー。

でも、嫌だから無くそうとする…それもそれでオッケー。



・あることも許されてる

・無くそうとすることも許されている


何をしても許されている。


つまり、どっちであっても幸せ。

全てを包括してるのが「幸せ」なのです。



矛盾するのです。


矛盾するから幸せではない

と思い込んでいるのですが、

本当はすでに私たちは、幸せという存在そのものなのです。


幸せ像を、人は、好きなように自分で作り出しているだけなのです。



「幸せ」の代わりに「愛」という人もいます。(こちらの言葉のほうがしっくりくる人いるかもです。私はしっくりこないのですが)


だから、

どこまで行っても、

何をしても、

何を感じても


それ自体が「幸せ」なのです。






どんな感情を抜き取ろうとしても、

どんな感情を排除しようとしても、

真の幸せを感じる事はできない。


それは、「幸せ」は、いつも何らかのプロセスの後にやってくるという思い込みがあるから。


そうではなく、

プロセスの前も、中も、後も

全部含めて幸せなのです。



例え、感情をコントロールして、幸せに感じることができたとしても、それは一時のものであり、

またすぐにその感情はいつでも舞い戻ってくる。


完全に消し去ることのできる感情は何もないのです。



なぜ、消し去ることができないかというと、


どの感情も「ある」事に何も問題はないからです。


どんな感情も、

どんな思考も

それ自体に問題は何もないのです。


自然なことは起こり続けます。


息を勝手に吸って吐いてと繰り返すのと同じように。


元々何も問題が無いものに、

問題を作り出して、

どうこうしようとするのが私たちです。


なので、問題が消えたように見えても、

残るものは相変わらず同じです。


残るものは相変わらず

日々の生活であり、

全ての感情であり、

起こり続ける様々な出来事。






頑張って苦労することで幸せになるとは限らないけど、

頑張って苦労してる時は幸せなのです。




悲しんで、辛い思いをして我慢した先に幸せになれるとは限らないけど、

悲しんで辛い思いをして我慢してる時は幸せなのです。



そんなわけあるかーーーい!!!!



って思うんですけど、

そうなのです。



追い求めるのをやめると、

その矛盾の中に、

身を置くことができます。

矛盾が成立し始めます。



グルグルと「全て許すゲーム」の中に突入します。


居心地が良い時も悪い時も、


「それしかない」のが分かります。




私は、「流れに身を任せてーー」と言ったりしますが、

ほんとのほんとは、流れに逆らっててもオッケーなのです。



ただ、流れに任せると本人の感じ方は変わるかもしれません。

楽に感じられるかもしれません。

居心地がいい時間は長くなるように感じられます。

気づくことから、現実も変わってくように見えます。

辛さや苦しみが減ってるように感じられます。

だから、心理学的な事を書いたりもしますし、

私が楽に感じれた方法なども書いちゃったりもしてます。


でも、


本当の本当は、

自分を責めることも、

罪悪感を感じる事も許されていて、

「感じないようにしたい!」って、責めや罪悪感をとっぱらおうとすることも許されていて、

でも「無くしたいのに無くせない自分」もまた許されていて、


どこまで行ってももう


「許されてる」事しか起こらないのです。




幸せは、こんな具合に大いなる矛盾の中に存在してるのです。


だから、ブログや本で、


心の事を書く人の様々な矛盾を見つけると思います。



じゃー、これはどーなるのよ?!


罪悪感は感じればいいって書いてるのもあれば、

こうすれば罪悪感は取れるってかいてる。



取る必要はないって言ったり、

取れとか手放せとか言ってたり。


どーすりゃーいいのーーーー!!!!

とまた迷子になります。


だから、誰もが必死で見つけ出そうとしてる幸せの答えというのは、

見つけ出そうとすればするほど、分からなくなるのです。




理解できないとこに幸せは存在していて、


でも、もうずーーーっと片時も離れずに私たちがやってる全てが「幸せ」なのです。







今、自分は幸せって感じないのに、

「私は幸せなんだ!」って無理して思い込むっていうことではなく、


思えない自分を分かっている。


今、自分が

何を見て、聞いて、どう感じているか。


それそのものが、幸せであり、

私たちは、

その幸せから何をしても逃れられないようになっているのです。











いつも読んでくださる皆様ありがとうございます!!
↓↓↓

にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村

やーやーやー。 本日もわけのわからない感じのヤツいくで~~~~。 けど、けっこう沢山の人がこのワナにひっかかってると思うから書くで~~~。 にほんブログ村 私たちはいつも何かに同化して、自分を完全にしようとします。 何かに同化して、自分のアイデンティ ...

続きを読む
やーやーやー。


本日もわけのわからない感じのヤツいくで~~~~。

けど、けっこう沢山の人がこのワナにひっかかってると思うから書くで~~~。




にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村


私たちはいつも何かに同化して、自分を完全にしようとします。

何かに同化して、自分のアイデンティティーを確立させようとします。



同化しようとするものは沢山あります。



例えば、

子どもを持つ(母親)

彼氏をつくる(恋人)

結婚する(既婚)

起業する(自分の仕事)

資格を持つ

~ができる

優しさや強さ(一般的に良しとされるキャラクターになる)

完璧な仕事

沢山の友達

物・持ち物

学歴

過去の経験

体型

容姿・外見

得意なこと





全てひっくるめて「私」をつくりあげている人もいれば、

どれか特別な事に特化して、

「これがあるから私」としてる人もいるかもしれません。


これらを「私」のよりどころとして生きています。




とにかく、自分自身、何にもない丸裸の単体では常に不安が付きまとうため、

何かにくっついて、同化することで、安心感を得ようとしてしまいます。


丸裸の赤ん坊として産まれた時は、

何一つ持ってなくて、

何にも同化してなくて、

あるがままでオッケーだったはずなんだけど、

成長するにしたがって、

だんだんと、

「今の自分では足りない」

という感覚(錯覚)が芽生えてきます。



自分は不完全という錯覚が起き、

常に、完全で在りたいというこれまた錯覚が起き、

その足りなさ、不足感を埋めるために、周りにあるものに同化して自分を完全にしようとするのです。



自己紹介をする時に、

「それ」がないと、不安になる要素は上の中にありますか????

自己紹介で言わずとも、

相手にこれは知ってほしい。。。。と思うこと。

それを取り上げられると、「自分」としての自信が欠けてしまう気持ちになること。





例えば、

・既婚の私。

・子どもがいる私。

・社長の私。

・資格が沢山ある私。

・ブランドを沢山持ってる私。

・優しさの塊のような私。

・昔、いい学校を出た私。

・ステキな旦那がいる私。

・頭の良い子どもがいる私。

・マンションをもっている私。

・友達が沢山いる私。

・得意なことはこれだ!という強みがある私。



などなど、

「私」は常に、

あるがままの「私」だけで存在してるのではなく、

「~な私」として存在してることが多いのです。


これは、反対の性質でも同じです。


・~を持ってない私。

・ダメな私。

・おっちょこちょいな私。

・短気な私。

・落ち込みやすい私。



それを無くしたら、自分は何かぽっかり穴があくようで、落ち着かなくなるラベルがあれば、

それは、もうそのラベルを自分のアイデンティティーの一つとして、自分と同化しているものです。



そして、そのアイデンティティーだけではまだ足りない。。。。。

もっとたくさん、

もっと、大きく、強くならなければ。。。。。という錯覚が起きるほど、

また外側にあるものに自分を同化させ、自分を安心させようとして、さらなる努力をします。


その物や経験が脅かされると、

まるで自分自身が脅かされている恐怖に襲われることがあります。



これら全部、錯覚です!!!

幻想とも言われます。







例えば、

「自分自身」と「社長」という地位が強く同化している場合、

社長の地位から退くようなことをほのめかされれば、

まるで、自分自身が無くなってしまうような恐怖がやってきます。



「私」が「母親」というラベルに強く同化していると、

良い母親であることが脅かされることがあると(子どもが言う事を聞かない、子どもの相手をしてあげれない)、

自分がとてつもなく、不完全な人間であるという錯覚が起きます。



でも、よくよく考えてみると

同化してる相手(物・経験)は自分自身ではありません。



そのモノや、経験自体が例え無くなったとしても、

自分自身は何一つ損なわれるわけではないのだけども、

同化している時は、まるでそれが無ければ、自分はおしまいだくらいに思ってしまうこともあるようです。

そして、脅かされたアイデンティティーや、

よりどころが無くなってしまったアイデンティティー、

これじゃまだ不安だ!と思ってしまったアイデンティティーは

またすぐに次のよりどころを探し始めます。

これは「あ!これは自我のワナだ!」と気付くまでエンドレスに続きます。




本来は、何にも同化しなくても、そのままで完全であるのが私たちの元々の姿です。



「な~~~にもない私」

「あるがままの私」




母でも、

独身でも、

キャリアウーマンでも、

家を持ってるでもなんでもない、




そういう、ラベルを全て引っぺがした時に、残っている

「存在そのもの」


その存在そのものとして、私たちは、すでに許されてここにいるので

ラベルをありったけ貼って自分をますます大きくしようとしたり、

何かに同化して自分を保とうとする必要すら本当はなかったというわけです。




自分を完全にするために(不安を取り除くために)、何かに同化しようとして、本来しなくてもいい苦労であったり、努力であったりをして苦しむこともよくあります。


そんな時、

本来の自分は、そのままで許されているということを思い出すと、

今からやろうとしてること、

何者かになろうとしてること、

が、本当に自分にとって、必要としてることか否かが見えてきます。


(自分の本当の声とかって言われるやつです)


全てをニュートラルにして、

何もする必要がない自分を思い出した時、

そこから湧き出てくる心の声を聞くと、

それは、激しい努力や無理をせずとも、

そのまま流れとして進んでいくことができます。



全てが上手くいかない。。。。。

思うように進まない。。。。

という時は、

自分を大きくみせようとしたり、

完全になろうとして走ってないかと、

ふと立ち止まってみるのもいいかもしれません。


そして、これ以上、やり方が分からない。。。。

どうすれば分からない。。。。


という時は、


わかろうとしない。

分からなくていいのです。


不安だから、、、と全てを分かろうとするのがこれまた自我の錯覚なのです。

そのワナにひっかかり続ける限り

錯覚の世界から抜けられません。



「分かりたい」という気持ちを手放してみてください。


「全ておまかせ、もうどうにでもしてくれ~~~~~!!!!!」

と心が開いたとき、

全てが自動運転に変わります。







いつも読んでくださるみなさまありがとうございます。
こちらもぜひぜひお願いいたします~~!!
↓↓↓
にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村

やーやーやー。 にほんブログ村 私のぶろぐを見ていただいてて、 更には読むだけではなく、 自分に向き合ったりなどを実践して下さってる方は、 毎日やっていると、 あ!こんな気付きがあった! あ~~~!なんか今日はいつもよりスッキリした気持ちになってる~~! ...

続きを読む
やーやーやー。

にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村

私のぶろぐを見ていただいてて、

更には読むだけではなく、

自分に向き合ったりなどを実践して下さってる方は、

毎日やっていると、

あ!こんな気付きがあった!

あ~~~!なんか今日はいつもよりスッキリした気持ちになってる~~!

とかがあって、

また、

わ~~~!また不安になった~~~!!!!

ってなって、

そんでまた向き合ったら、

またスッキリしてきた~~~!!!

というのを繰り返されてると思います。


そして、気付いたら1カ月前の私、

1年前の私、

と全然違う私が「今」いるということに気づいたりすることもあると思います。


私も、ずっとそれを繰り返しました。





そんでもって、いきなりバ~~~~ンとシフトがありました。

突然です。

今まで

「私が~を感じて~~~」

「私が~って心配して~~~」

「私にそれが起こってるって思ってて~~~」


っていう、

ぜ~~んぶ

「私」「私」と思ってた「私」がごそっと取れちゃう感じです。


そうなった時には、一瞬なんなのか良く分かりませんでした。


やってることはそれまでと何ら変わらないです。

普通に家事、育児をして、

普通に人と接して、

全部何一つ変わらず今まで通りに事は起こっています。


で、何が違うのかというと、

個人的にとらえてる「私」がどこかにすっ飛んじゃった感じなのです。

「私」をどっかに置いてきちゃった感ともいいましょうか。


それに気付いたのは、ふとした時でした。



あれ?あれ?あれ?????

何か考えても、

なんか違うな。。。。


あんなに思考大好きな私なはずなのに。。。。

全然思考が膨らまない。。。。


何が違うんだ???



と思った時に、


あれ!!!!!!!!気にする「私」がいない!!!!!


と気付きました。



普段だったら、

ある出来事が起こったらめっちゃザワザワするであろう「私」が

ザワザワしてないのです。


あれ???なんだこれ??

何も気にしてない???


イヤイヤ、気になることあるやろ。。。。。


と、


老後の事を考えてみました。

全く不安のふの字も上がってこないし、ザワっともしないのです。

というより、老後の未来図が全く分からないのです。


過去の事を考えてみました。

出来事は思い出せるのですが、

ザワっとも、ピリっともしないのです。


またまた来ました


なんじゃこれ~~~~~!!!!!!!!


です。



いや~~~、それおかしいやろ~~~~。


と思った時に


初めて、それが何なのか知りたい!!!という「私」が帰ってきました。


私が、それを知りたい。

それがなんなのかはっきりさせたい。

それは久々に感じた「私」でした。



面白いです。




で、結局それが知りたいと思い、ネットに張り付いたり、本を読んだり。

なんとなく分かったのは、

求める=今の状態じゃ足りない=個人的なエネルギー(自我の意識)

が舞い戻ってきたようです。



ほほ~~~~~~!!!!!


お!?ってことは、他の不安もまた戻ってきたのか???

と思って、色々考えてみましたが、

そこら辺はそのままで、



ただ、それが知りたい、

分からないとモヤモヤする。。。。。


というのだけがしっかりありました。


色々調べた結果、特に私にできる事はないというのがまた分かりましたので、


この体験については、

また起こるように起こさせて放っておこうと思います。

あ、時々、まだ知りたいというのは出てきます。

もちろんまだ個人的にとらえて、

「私が~~」とかあります。


でも、以前とは比べ物にならないくらい大きなシフトだったな~と思うわけです。



で、非二元的に話すと、

「起きる事がただ起きてる」ということなので、

私と同じことをやってるとそうなるかというと、

起きるかもしれないし、起きないかもしれないという身も蓋もない答えになってしまいます。

でも、それが起きないからといって、

何一つ今の日常は変わらないので、

ただ、そんなんもあるんやな~~くらいに聞いといてもらえたら嬉しいです。






いつも読んでくださるみなさまありがとうございます
↓↓↓
にほんブログ村 主婦日記ブログ 専業主婦へ
にほんブログ村