やーやーやー。


私たちの人生、生活、思考というのは無数の価値観から成り立っている。

私は、今までのブログ記事で、

「苦しいと思う価値観は手放していけばいい」、とか、

「その時々で、自分がいいと思う価値観を選んでいけばいい」

と幾度か書いていたが、

ちょっと漠然としていてイメージがつかみにくいので、

今日はそのことをちょっと書こうと思う。



行きま~す。



人間、一人一人が持ってる価値観は、人によって色々。(それはもうみんな気づいてるはず)




価値観=固定観念=思い込み

といってもいい。

価値観というと、その人が何に価値を見出しているかみたいなイメージがあるが、(それも私の勝手な思い込みなのだが)

価値観は、単に、「いい事」だけではなく「悪いと思っている事」にも当てはまる。




・こうこう、こうした方が良い、すばらしい、美徳だという価値観

・こうこう、こうするのは悪い、違う、不誠実だという価値観




例えば、日本人全体的に思っている共通の価値観=思い込みはこんなことがあるかな。



・ご飯の時には箸をつかう

・目上の人には敬語を使う。

・時間を守る

と、まあ山ほどある。(例え少な!!)


それがまったく通用しない国があるというのも皆知っている。

それはその国には日本人が持っている「価値観=思い込み」が全くないと言う事。


さて、それを個々の単位に細かくしていくと、人の数だけ、人の数以上の無数の思い込みが存在しているわけだが、


とくに厄介なのは、ある人の中ではいいと思っていることが、ある人の中では悪いと判断されている思い込み。


みな、人と関わる時に、この価値観=思い込みの違い、ズレが生じて、怒り、苛立ち、モヤモヤ、さみしさ、悲しさなどが生まれる。


・男親も育児に参加するべきだVS男は黙って仕事

・男は外で仕事VS女は家で家事

・食べ物を残すと罰が当たるVSそんな罰はあたらない

・真面目に勉強するといい学校に入れるVS真面目にしなくても入れる人は入れるし、入れない人は入れない。

・親の言う事を聞くのがいい子供VS自由にのびのびと生きているだけで素晴らしい子供



全ての考えに表の面とそうではないと思う裏の面があるので、

そこは、自分がモヤモヤしたりイライラしたりした感情が湧いたときが、「自分の思い込が相手の思い込みと違う」というサイン。


なのでその辺りは非常に分りやすい。


その自分が、イヤだなと感じた時は「価値観=思い込み」をもう一度見直すチャンス。


その思い込みは

・世間一般の人がみんな言ってるから自分も使ってきたのか。

・親がいい続けてきたことだから採用してきたのか。

・昔の言い伝えだから採用してきたのか。

・学校の先生が教えてくれたことだから採用してきたのか。



そう考えてみて、まずその価値観はどこから出てきて、いつ自分が取り入れたのかをちょっと考え見る。


幼い時に親が教えてくれて、そのまま鵜呑みにして、今でも思いこんでいて、

もしも、

もしも、

その思い込みで自分が苦しんでいるのだとすると、

あなたは、もうそれを手放しても大丈夫。




もう子供ではないし、

自分がどうありたいかという本当の自分を自分に聞くことができる。


誰の指図も受ける必要はない。



そして、親とは真逆の価値観を選択したとしてもあなたを責めれる人は誰もいない。


自分に誠意をもって対応できるのは自分自身。

自分の心を決めるのは自分。



自分に正直になれるのは、他人の思い込みでもなんでもなく、自分が「こうでありたい」と思う事。


もちろん、自分がその価値観を選択することで、相手が

「お前の考えはおかしい」とか、

「お前とは価値観が合わない」と言ってくるかもしれない。


しかし、それはもうあなたの問題ではなく、

「相手の問題」

相手が、ありのままに生きる「私」をどう受け取っていくかは、もう相手の問題であり、

自分の問題ではないのだ。


私がトド(夫)と一緒に暮らしていて、苦しんだときもあり、それによって修正した価値観がある。


そんな価値観がない人には不思議な話だが、

私の思い込んでた事はこちら。


じゃん。


注.:トドといる時の場合

・私は、「ゲームばっかりやるのはよくないという価値観」を持っていた
↓↓↓
・自分のやりたいことをやりたい時に好きなだけしてもいいんだという価値観に変えた


・家族は会話が多い方が楽しいという価値観
↓↓↓
・会話は少なくとも必要な事だけきちんと把握できていれば各々好きなことをして楽しんでもいい。
好きなことをやることで広がる会話もある。


・家族は必ずそろって晩御飯を食べたほうがいいという価値観
↓↓↓
できる時にはそうすればいいが、できない時に無理にしようとしない。
それぞれのタイミング、食べたい時を待ってあげてもよい。

・トド(夫)は時折、家族に行き先や帰宅時間を告げづに出かける時がある。
(相手のスケジュールを把握していないと自分のスケジュールが狂ってしまうという思い込み)
↓↓↓
いい大人が別にいちいち、ちくいち行き先を告げて出かける必要はない。
自分のいきたいところに行けばいい。(自分もほんとはそうしたいのだから)
そして、ご飯に間に合わなければ自分で食べればいい。
こっちはこっちで勝手に食べるから。
それに文句を言うなら、それはトドの問題(文句を言われたことは未だ無し)

とは言っても、私は、自分が出掛けるときはちゃんと行き先は告げる部分は採用




といった具合にかなり今まで、自分が育って来た環境の思い込みをかなり採用していたのを、

「あれ?それってそれがほんとにいいことなの?」って問い直すと、


案外、そうあらなければならないってことはとても少ないことに気づく。


そして、それを感じたら自分の心地いいほうに修正していく。

それを、最初は意識してやっていたが、今では自然とできるようになった。

するとストレスレベルがいつもMAXだったはずの自分が、

ほぼストレスフリーになってきていることが分かった。

もちろん、瞬間的にイラっとしたり、むかついたりすることはあるが、

日常的にいつも私を悩ませる問題ではなくなってしまった。




私の出した例もあくまで私の価値観であり、私の思い込み。

友達といっしょに居る時とかは、きちんと行き先を告げたり、一緒にご飯を食べたりと、トドの時には使えなかった価値観もちゃんと使い分けている。

(TPOを選んで価値観を選び直す)



その時その時で、今自分の思いこんでいる事は、この場所、この相手、この雰囲気、自分に対して、

上手く働いているのかどうかを考えると、

イライラしている時ほど、全く機能していないことが分る。

それをちょいちょい修正したり手放したりしながら、

日々の生活を穏やかに、

楽しく、

自分を苦しめることない開放の方向へ導いていきたい。



何十年も思ってきた思い込み。

その思い込みは、自分にとって心地いいものですか?

それとも、そろそろ手放しても良さそうですか??








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