や~や~や~。


本日2回目でーす。

やや長めで~~す。





先日私の実家のことを記事にしたときに、

沢山の方が自分の親を思い浮かべたんだと思います。

で、鉄人(私の母)と自分の母は全然違う。。。。。なんてちょっと寂しく思った方もいると思います。


そこで、今日は、「親の家の片付け」に関して、私の考えを少し。


いきま~す。





親の家が汚い、

物が多すぎる、

片付けてくれない。

と言って悩まれてる方は多い。



聞いていると、鉄人(我が母)のほうがもしかしたら稀なケースなのかな?って思うほど、

「うちの実家汚いんだよね~~」っていう声を良く聞く。


うちの実家も元々は物が多かった。




で、実家が汚いと、

・帰省しても気持ち良くない

・いつになったら片付けてくれるんだろうばかり考えて、一緒に過ごす時間も喧嘩が多い

・親が死んだらこれを全部片付けるのは私の役目になるかと思うと気が重い




そんなことが増えてきて、

だんだん悲しくさえなってきたり。

それがイヤで、必死になって片付けさせようとしたり、

「もう!ほんとに捨ててよね!」って感情的になったり、

違うときに実家に帰って、全く進んでない状況を見てまたがっかりしたり。


そんな状況が続く時、

こうしたらどうだろう??



「何回かアプローチしてみてそれでも駄目だったらもう放っておく」

「親の家よりもまずやらなきゃいけないことが沢山あることに気づく」



片付いてない親の家を見ると

イヤな気持ちにもなるし、

片付けて欲しいという気持ちもでてくるし、

いろんな感情がごちゃごちゃしてくるのだが、


そこに住んでるのは誰??

そこで生活して不快な思いになるのは誰?

ましてや、当の住人は不快に思ってなくて、

外野の自分だけが不快に感じてるってことはない?



「放っておいたら後が大変!!!」

「もうこれは親だけの問題じゃない!!」

なんて風に思うかもしれないが、

ほとんどの場合はそれは自分目線。


親はそんな状態でずっと住んできたわけだし、

今までだってずっと物が多い部屋だったし、

今すぐキレイにならなかったとしても、それが今日の「私」の生活を脅かすものにはならない。

というより、脅かすものにしてはいけないような気がする。


最近「親の片付け」がちょっと流行し始めたから、

急に少し焦りみたいなのが出てきているだけなのかもしれない。


でも、親の家が汚かったのはずっと前から変わってないわけで、

変わってしまったのは、自分の気持ち。

親の家に対する見方が変わってきてしまったこと。

情報に流されて、「今すぐにでもどうにかしたい」という気持ちが芽生えたり。



ゴミだって出すのにお金かかる時代だし、

自分の家さえ片付かないのに、後々、親の家まで片付けなきゃなんて面倒ごめん。

面倒なことはいちはやく目の前から消したいから、親にもどうにかしてもらわなきゃっていう気持ちが走る。



そう。。。。自分の部屋だって片付かないのに、

自分だってそんな余裕ないのに

人のことまで面倒見切れない。。。。

これがやはり大きな理由になってるんではなかろうか。


だとすると、

何よりもやらなきゃいけないことは、

親の家でも、

他人の家でも、

旦那の部屋でもなく、

自分の片付け!!!!!!


これをやって、自分の生きている時間を「今」に合わせていくことこそが、

親の片付けにそこまで自分の心を縛られることがなくなるコツ。





親がもし死んだら。。。。。

っていうのは未来の話。

いつ死ぬかもわからないし、

もしかしたら死ぬ間際になって、身の回りを突然キレイにし始めることだってあるかもしれない。

子供に最後くらいは迷惑かけないようになんて思ってくれることだってあるのかもしれない。

「自由に生きていいから、ゴミ処理費用くらい置いて死んでね。」なんて言うと、あわてて片付けを始めるかもしれない。

先の事は本当に分らない。

それよりも大切なのは

「今の自分の生活」

分らない不安な未来に焦点を当てることより、

今自分にできることをして楽しく過ごす。



いつ親が死んでも、

私はいつでも親の家を片付けてあげられる身軽さと覚悟をもつことこそが、

今の生活を、誰にも束縛されない自由な生活にさせれることだと思う。




自分の事ができてないとき、人はついつい人に目がいき、人ができてないことに腹が立つ。

人は自分の投影。

自分ができてないことを人が見せて気づかせてくれている。


だから、そのことでイライラする時は、

人を変えようとすることに力を注ぐのではなく、自分こそが変わらなければならないサイン。


自分の事が出来始めると、

人のことがそこまで気にならなかったり、

人が「手伝ってほしい」ってサインを出した時にいつでも助けてあげられる気持ちが出来上がってくる。


私も、親の片付けどころか、

老後の親の面倒すらみたくなかったし、

親と再び生活することすら考えられない人間だった。




昔、鉄人(母)に、

「長男は当てにならないから、老後はあんたが面倒みてくれたらなあ。。。。」みたいなことを言われた時は

まるで「誰に話してるんですか?」のように全力無視して、引き受けることを拒否していた。



でも、最近は

「ほんとにいざとなったら愛知に呼んでもいいな。。。。。」


なんて昔では考えられなかったことまで考えられるようになった。


そんな少しの心の余裕がでてきたら、

不思議なことに、

鉄人(親)の口からも「面倒を見て欲しい」なんて言葉が消えていった。

自分の家もキレイにし始めて、自分の家にも再び愛着が持てるようになって、

岡山から離れたいと思わなくなったのかもしれない。

そんな感じで、

私は自分の家を片付けたことをきっかけに

沢山の状況がちょっとずつ変わってきた。



どこにも、「自分が親のことを全部しなきゃいけない」という強すぎる責任感は必要ないのだ。

未来のことならなおさら。

だったら、未来に不安を募らせるより、

今をもっと心地よく暮らさなければいけない。

やることがありすぎて頭がパンパンの時はまずは目の前にあるできる事をやるのみ。


今まで「片付けしてよ!!!」ってガミガミ言っていた娘が何も言わなくなったら、

それこそ不思議で自分から片付けし始めるかもしれない。


やってくれないことに焦点を合わせ頭を悩ませるのではなく、

まずは、自分の家の事をちゃんとやる。

それをやると、

「もう片付けしてよ!!!!」

っていう姿勢から、

「私もいつでも手伝うからまた気が向いたら声かけてね」

っていう姿勢に変わってくる。

こればっかりは本人のやる気が出なければ

どんなにまともに思えることを言ってもタダの要らぬおせっかいにしか聞こえない。

今、親の片付けで頭がいっぱいの方は

一旦それを横に置いてみてはどうだろうか。


「私がなんとかしてあげなきゃ」は
忘れても大丈夫。


片付けることが正義でもないし、

やらないと冷たいわけでもない。

片付けをしなくても、

親は今までとおり暮らすのだ。


親を一旦置いて、まず自分。



そこができるようになると、ふと気付いて他に目を向けると不思議なくらい状況が変わって、

自分にも心地よい風がどんどん吹き始めるから。

元々は自分の管轄外のことなんだから、

それで苦しまない。



一番大切なのはやはり

「今の親と子の関係」だから。








実家の断捨離みなさんはどうしてるんでしょうね。
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トラコミュ
親の家の片づけ


「片づけられない」の様々な原因


捨てても、大丈夫だったもの。


シンプルで豊かな暮らし


ガラクタ捨てれば自分が見える?


スッキリさせた場所・もの



引き続き読んでくださった方ほんとにありがとうございます。
また貼っときますね♡
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