やーやーやー。


本日もわけのわからない感じのヤツいくで~~~~。

けど、けっこう沢山の人がこのワナにひっかかってると思うから書くで~~~。




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私たちはいつも何かに同化して、自分を完全にしようとします。

何かに同化して、自分のアイデンティティーを確立させようとします。



同化しようとするものは沢山あります。



例えば、

子どもを持つ(母親)

彼氏をつくる(恋人)

結婚する(既婚)

起業する(自分の仕事)

資格を持つ

~ができる

優しさや強さ(一般的に良しとされるキャラクターになる)

完璧な仕事

沢山の友達

物・持ち物

学歴

過去の経験

体型

容姿・外見

得意なこと





全てひっくるめて「私」をつくりあげている人もいれば、

どれか特別な事に特化して、

「これがあるから私」としてる人もいるかもしれません。


これらを「私」のよりどころとして生きています。




とにかく、自分自身、何にもない丸裸の単体では常に不安が付きまとうため、

何かにくっついて、同化することで、安心感を得ようとしてしまいます。


丸裸の赤ん坊として産まれた時は、

何一つ持ってなくて、

何にも同化してなくて、

あるがままでオッケーだったはずなんだけど、

成長するにしたがって、

だんだんと、

「今の自分では足りない」

という感覚(錯覚)が芽生えてきます。



自分は不完全という錯覚が起き、

常に、完全で在りたいというこれまた錯覚が起き、

その足りなさ、不足感を埋めるために、周りにあるものに同化して自分を完全にしようとするのです。



自己紹介をする時に、

「それ」がないと、不安になる要素は上の中にありますか????

自己紹介で言わずとも、

相手にこれは知ってほしい。。。。と思うこと。

それを取り上げられると、「自分」としての自信が欠けてしまう気持ちになること。





例えば、

・既婚の私。

・子どもがいる私。

・社長の私。

・資格が沢山ある私。

・ブランドを沢山持ってる私。

・優しさの塊のような私。

・昔、いい学校を出た私。

・ステキな旦那がいる私。

・頭の良い子どもがいる私。

・マンションをもっている私。

・友達が沢山いる私。

・得意なことはこれだ!という強みがある私。



などなど、

「私」は常に、

あるがままの「私」だけで存在してるのではなく、

「~な私」として存在してることが多いのです。


これは、反対の性質でも同じです。


・~を持ってない私。

・ダメな私。

・おっちょこちょいな私。

・短気な私。

・落ち込みやすい私。



それを無くしたら、自分は何かぽっかり穴があくようで、落ち着かなくなるラベルがあれば、

それは、もうそのラベルを自分のアイデンティティーの一つとして、自分と同化しているものです。



そして、そのアイデンティティーだけではまだ足りない。。。。。

もっとたくさん、

もっと、大きく、強くならなければ。。。。。という錯覚が起きるほど、

また外側にあるものに自分を同化させ、自分を安心させようとして、さらなる努力をします。


その物や経験が脅かされると、

まるで自分自身が脅かされている恐怖に襲われることがあります。



これら全部、錯覚です!!!

幻想とも言われます。







例えば、

「自分自身」と「社長」という地位が強く同化している場合、

社長の地位から退くようなことをほのめかされれば、

まるで、自分自身が無くなってしまうような恐怖がやってきます。



「私」が「母親」というラベルに強く同化していると、

良い母親であることが脅かされることがあると(子どもが言う事を聞かない、子どもの相手をしてあげれない)、

自分がとてつもなく、不完全な人間であるという錯覚が起きます。



でも、よくよく考えてみると

同化してる相手(物・経験)は自分自身ではありません。



そのモノや、経験自体が例え無くなったとしても、

自分自身は何一つ損なわれるわけではないのだけども、

同化している時は、まるでそれが無ければ、自分はおしまいだくらいに思ってしまうこともあるようです。

そして、脅かされたアイデンティティーや、

よりどころが無くなってしまったアイデンティティー、

これじゃまだ不安だ!と思ってしまったアイデンティティーは

またすぐに次のよりどころを探し始めます。

これは「あ!これは自我のワナだ!」と気付くまでエンドレスに続きます。




本来は、何にも同化しなくても、そのままで完全であるのが私たちの元々の姿です。



「な~~~にもない私」

「あるがままの私」




母でも、

独身でも、

キャリアウーマンでも、

家を持ってるでもなんでもない、




そういう、ラベルを全て引っぺがした時に、残っている

「存在そのもの」


その存在そのものとして、私たちは、すでに許されてここにいるので

ラベルをありったけ貼って自分をますます大きくしようとしたり、

何かに同化して自分を保とうとする必要すら本当はなかったというわけです。




自分を完全にするために(不安を取り除くために)、何かに同化しようとして、本来しなくてもいい苦労であったり、努力であったりをして苦しむこともよくあります。


そんな時、

本来の自分は、そのままで許されているということを思い出すと、

今からやろうとしてること、

何者かになろうとしてること、

が、本当に自分にとって、必要としてることか否かが見えてきます。


(自分の本当の声とかって言われるやつです)


全てをニュートラルにして、

何もする必要がない自分を思い出した時、

そこから湧き出てくる心の声を聞くと、

それは、激しい努力や無理をせずとも、

そのまま流れとして進んでいくことができます。



全てが上手くいかない。。。。。

思うように進まない。。。。

という時は、

自分を大きくみせようとしたり、

完全になろうとして走ってないかと、

ふと立ち止まってみるのもいいかもしれません。


そして、これ以上、やり方が分からない。。。。

どうすれば分からない。。。。


という時は、


わかろうとしない。

分からなくていいのです。


不安だから、、、と全てを分かろうとするのがこれまた自我の錯覚なのです。

そのワナにひっかかり続ける限り

錯覚の世界から抜けられません。



「分かりたい」という気持ちを手放してみてください。


「全ておまかせ、もうどうにでもしてくれ~~~~~!!!!!」

と心が開いたとき、

全てが自動運転に変わります。







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