やーやーやー。




ネガティブに見えることが起こっても良いんです。

不安になってもいいんです。

悩んでも良いんです。

無駄に見えることが起こっても良いです。


すべてはただただ意味なく起こっているだけなのです。


その一見ネガティブに見えることが起こっていて、

それを排除しようとするとき、

それに抵抗しようとするとき、

それをなんとかしようとするとき、

苦しくなります。


一緒に居てあげればいいんです。

そばにいてあげればいいんです。

大丈夫と声を掛けてあげればいいんです。

出てきた感情を嫌わずに、

そのまま丸ごと味わってあげればいいんです。


「いてもい~よ~」って。




思考は、良い悪いの判断を即座に下そうとしますが、

ただただジャッジせずに受け入れていくんです。



悩みも、不安も、悲しい感情も、

それらが出てくるたびに、

どっか行って欲しい、

こんな気持ちになるのは嫌だ、

どうして、こんな思いしなきゃいけないの?

って、無意識に責めたり嫌ったりしてしまう。


けど、ほんとはあっていいもの。

あっていいものというより、

それを不快と判断してるのはただの思考。


もともと、不快な感情があったわけじゃない、

もともと、ネガティブな出来事が起こったわけじゃない、

もともとは、ただのエネルギー。

それを、不快、ネガティブと判断したときに、問題が生まれたように感じるだけ。




その不快さが嫌で、

その不快さに×をつけたとき、

目の前の出来事、感情を問題と感るだけ。


その判断が消えたとき、

判断しないとき、

ただ、目の前に起きてることを、感じることを真に見るとき、

自分が考えていたような恐ろしい事。。。。そんなものは最初からなかったと気付きます。

ほんとのほんとは最初からそんなものは無かった。


それは、何か負の感情が出た時に、嫌わずに感じ切って見ると、それがほんとにただの何でもないものだったと分かります。


排除しようとしたら、大きくなって出てくる。

対処しようと抵抗すれば、

それがリアルになる。


でも、

ほんとのリアルは、何も無い事。

何も起こっていないこと。


出てきたものを嫌わないであげる。

ただそっと受け取るとき、

そこにはもともと微動だにもせずにずっと横たわっていた愛だけがあったということに気付きます。


外がわを一生懸命変えようとしてるとき何も変わらない。

問題と思えるそれらを無条件で受け入れるとき、

問題と思ってることは何も無かった、、、と頭ではなく、感覚で受け取るのです。


ゆえに、頭でどうこうしようと考えてる間は、何も受け取りません。

思考は真実を見れないのです。

思考はただただごちゃごちゃと真実を見れないように作戦を立てて邪魔してきます。

真実を受け取るのは思考ではなくハートです。

存在です。

全体です。

自分ではない何かが受け取るのです。


だから、

「受け取れない~~~なんでだ~~~~」とかも考えなくていいのです。

受け取るときには受け取るし、

受け取らないときには受け取らない。

ただただ、ダラ~~~っとして、

ゆる~~~っとして、

勝手に受け取っていけばいいです。

最初からわたしたちは勝手に受け取るだけでいい存在なのです。(というか、それしかできないのですが)




全てが完璧で最善のことが起こっている。


たとえ、表面的にはそうは見えなくても、そういうもんなんだ~~とゆる~~っとしてみる。

それだけで、

自分の思考では考えれもしなかった気付きが受け取れます。


も~~~~っとゆるく、も~~~~っと力を抜いて、

大きく深呼吸。











久しぶりに書いたのがこんなのでびっくりですが、
突然出てきたので、書いておきます。
久しぶりになった理由とか、何してたかとか、そんなんも全く書かず、相変わらず失礼な女ですね。
とにかくとにかくいつものことながら元気です♡
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