やーやーやー。

今日は非二元の視点からのお話。


非二元でよく「私はいない」

っていう言葉を聞くと思うのですが、

最近、ほんとに「わたしなんてものはほんとにどこにもいないな~」

なんて気付きがあがってきます。


苦しみや、不足感、などは全て分離の錯覚と言われますが、

この「私がいない」ということが明らかになってくると、

苦しんでた自分、

焦りを感じる自分、

辛い自分など、

そんな自分はどこにもいなかったんだな~っていうのがなんとな~く見えてきます。



全ての苦しみや、抵抗は

この「私がいる」という思い(思い込み)からきています。




私がいる。

私がそれをしてしまった。

私が罪悪感を感じる。

私に責任があるように感じる。

私に言われてる気がする。

私の物だから無くなるのが怖い。



この「私」が取れちゃうと、それは単なる、

感じることがある

それをしたという経験がある

見るがある

聞くがある

起こった出来事がある

人がただそいう言う言葉を発したということがある


という、「ある」だけが残ります。



経験があるだけで、そこに行為者がいたり、誰かがそれをやっているというわけではないのです。



ほら、他人に起きたことって、案外どうでもいいでしょ???特にどうでもいい知らない人。(急に口調が変わった!)

親戚とか家族とか友人とか身近な人に何か起きたら、なぜかとってもザワザワ。

それは「私の家族」とか「私の身近な人」って

「私の」が強くなるから、起こった出来事がとても重要で深刻なものになってくる。

けど、ニュースで遠い異国の誰かが殺されたとか、

学校で知らない子がこけて怪我をしたとかってなると、

「私」が絡まないから「へ~~っ」で終わる。



で、「私」がいる時は、この「私」という感覚をとてつもなく強く持っているから、

起こる出来事全てが、自分にとってとても意味があるし、

無視できないような重大なことが起こってるように感じちゃう。


けど、そんな「私」自体、もともといなかったんだ!ということが気付きとして起こってくると、

起こることだけが起きているということが見えてくる。

と同時に、抱え込んで悩む中心がいないので

何かと楽ちんに感じられます。






このブログも、kaitekiという人物が書いていると誰もが思うと思いますが、

ここにkaitekiというものは実在しないのです。



kaitekiと思われる人。

お片づけの事をブログに書いてる人。(もうあんまり書いてないけど~)

36歳で汚部屋を脱出した人。

なんだか最近こんなわけのわからん話を良く書くようになった人。

などなどkaitekiに関して、みなさんそれぞれ色んな思いがあると思いますが、

それらはいっさいがっさい概念であり、思考です。



その概念を一つずつ取っ払って、最終的に全てとっぱらうと、ここに行為者はいなくなります。



ただ「書く」と

ただ「見る」が起こってるだけで、

kaitekiが書いてるわけでも、

読者の誰か個人がこれを読んでるわけではないのです。




ほ~~~~~んっと全て何も起こってなくて、

自分に対して起こってる出来事というのは何もなくて、

自分が誰かに何かをしたことなんて何もなくて、

いたと思ってたのは、

そうしたと思ってる自分であったり、

人に何かをやらかしてしまったと思ってる自分だっただけで、


ぜ~~んぶ頭の中だけで作りだされていた単なるお話だけだったんだ!ということが明らかになります。







ここに書いてある文章は、だからどうするということは一切ありません。
ふ~~んと思ってすぐに閉じて、忘れてくださいね。

でないと、また思考がわかろうとわかろうと一生懸命になって、モヤモヤしちゃうことが起こるかもしれないので。笑
逆に読むだけで何かに気づく人もいるかもしれません。

ただ、読んで、忘れているだけで、ふと何かから気付きがくることがあるので、
いつもながら、ゆっくりのんびりとお過ごしください♡







いつも読んでくださるみなさまありがとうございます。
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