汚部屋ができる軌跡。

汚部屋の人は、

完璧主義者か

完璧なズボラか、

どちらかが多いらしい。

私は上手い具合にどちらも兼ね備えていて、

どちらかと言うと完璧主義に比重が少し傾いているのか。


「程よく」「適当に」「キリのいい所で」

が出来なかった。


やるならキレイにしたかった。

やるなら徹底的にしたかった。

多分、インテリア雑誌とかのキレイなお家に影響されまくってたから、

そのイメージに近づけない自分がイヤだったんだ。

だから、「できる時間」を見つけているうちにどんどん部屋は荒れていく。

例えば、子供の上履き入れの作成。

とにかく、終わらせないと次に進めない。

完成を早く見たい。

自分が作る物がどんな風になるかいち早く見たい。

完成しないと、ご飯すらも後回し。

その間、放置している子どもはやりたい放題。

上履き入れが出来上がるころには、汚部屋に磨きがかかり、ご飯も作らなきゃ、お風呂も入れなきゃ、と、まー、
それはそれは忙しい日々だった。

だから、

「掃除はマメに」

と、お掃除本に良く書かれているが、

その「マメ」が出来なかった。

キリの良い所で終わらせたり、程よくができなかった。

これは、きっと幼少期に、

「キレイにできたら喜ぶ親の顔がみれる」

「早く、手際良くすることに親が喜んでいた」

ことに由来しているんだと思う。

「キレイに」「丁寧に」「早く」

は、決して悪い事ではない。

しかし、「今の私のライフスタイルにはもう合ってない」のだ。

子供の時の様に、無心にただ一つの事に夢中になってやっている場合ではないのだ。

そう。わたしはまだ子どものままだったんだ。


「完璧でなくていい」

「誰もそんな完璧を私に求めていない」

「自分は完成品や、ぴしーっとキレイになった部屋がいち早く見たいが、

それを求めている間は、消してそうはならない」


「完成品が見たいのは私だけ。」

今は、家族がいる。

家族が喜ぶ事をしたい。

そして自分も同時に喜べる事を。

「優先順位」は変わるのだ。




汚部屋に改革を掛けてからは、びっくりするほど、子どもと戯れ、自分の時間を取り、いろんな事をしているにも関わらず、部屋は以前よりキレイになっていった。



適当でいいんだ。


自分のキャパ以上の事を日々やって、

日々疲れて、

物に振り回されて、

子どもの相手して。

自分の時間はいずこへ…

汚部屋の時、

「下の子が幼稚園に行くようになったら、ゆっくり片付けやろう」と思っていたが、

そうもいかない状況だった。

体が動かない。

ご飯が作れない。

病んだ。

だから、思い切って、下の子が幼稚園に行く前に行動を起こした。


そして、いい意味での、「手抜き」
「雑」「適当」を覚えた。


良いイメージの言葉は時に自分を縛り付け、

悪いイメージの言葉が時に自分を解放してくれる。

自分の固定されてる部分をもっと柔らかくして、生きやすくしたいと思う。




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